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贅沢な読書 『ロシア文学の教室』奈倉有里

 奈倉有里さんの『ロシア文学の教室』を読み始めたところ、この本は「ある大学のロシア文学の授業」の体で書かれているという。担当の枚下先生は毎回一つの文学作品を素材として、「社会とは、愛とは何かを考える」授業をするらしい。そのために事前に課題図書を読んでくることを学生に求めている。講義は全部で12回ある。

 ならば、ぼくもテキストを読んでから講義に参加しよう。

 ぼくは「ロシア文学」についてはまったく疎い。大学のころ、先輩に勧められてドストエフスキーをずいぶん読んだけれど、ほとんど覚えていない。あとは、中学生か高校生の初めのころに観た『罪と罰』のソーニャがとても素敵だったことくらいか。1970年のソビエト映画、監督レフ・クリージャノフ。とても暗くて美しい映画だった。

 ということで、ぼくは近くの図書館に行って、講義で取り扱う本を片っ端から借りてきた。その図書館にないものは、よその図書館から回してもらう手配もした。

 講義の順番はとりあえず無視。手元にある本を読み、ちゃんと予習した上で、枚下先生の講義に参加する(奈倉さんの本のその講義を読む)ということを繰り返している。

 既に済ませた講義は、第一講のニコライ・ゴーゴリ「ネフスキイ大通り」、第二講のプーシキン「盗賊の兄弟」、第三講のドストエフスキー「白夜」、第五講のミハイル・レールモントフ『悪魔』、第七講のツルゲーネフ「父と子」、第九講のチェーホフ『初期短編集』、第十講のゴーリキー「どん底」、第十一講のフセヴォロド・ガルシン「アッタレア・プリンケプス」の八つ。

 これがとても面白いのですよ。どの作品もとにかく素敵。講義の順番通りに読んでいないのは申し訳ないけれど、それでもすごく豊か。一つひとつの作品をゆっくり味わって、講義を聴いて(講義とは少し違うんだけどね)。二度美味しい。

 ロシア文学の豊かな土壌から生まれた、選りすぐりの作物を並べてくれているんだもんね。美味しくないわけがない。これまでちゃんと読んでこなかった自分が恥ずかしい。

 今は第四講で題材となっている、アレクサンドル・ゲルツェン『向こう岸から』を読み始めたところ。残っているのは第六講のイワン・ゴンチャロフ『オブローモフ』と第十二講のトルストイ『復活』。この三冊は既に手元にある。第八講のニコライ・ネクラーソフ『ロシヤは誰に住みよいか』は、今、Amazonが運んできてくれている。

 ちょっとワクワクしている。
 第十二講が終わったら、成績評価もあるらしい。
 枚下先生、奈倉有里さんの両者に感謝!

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