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きだみのる、悲劇の記録……嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』
ロシア文学の旅が終わり、グレーバーへの道に戻る。
松村圭一郎『くらしのアナキズム』からグレーバーへ向かうつもりだったが、きだみのる『気違い部落周遊紀行』『にっぽん部落』に寄り道したところで、何気なく読み始めた『ロシア文学の教室』に足を取られて、ほぼ一か月間、十三冊のロシア文学の集中講義を楽しんでしまった。
さて、グレーバーである。しかし、まだ「きだみのる」(ひらがなのお名前なので読みづらいかと思い、本文中では「 」を付けます)に消化不良感が残っている。いや、もっと知りたい「きだみのる」。ということで、手元には嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』と開高健『人とこの世界』の二冊。嵐山から読み始めた。
『漂流怪人・きだみのる』は、「きだみのる」の最晩年の五年間(当時七五~八〇歳)を、雑誌「太陽」編集部員として担当した嵐山光三郎(当時二八歳)が四〇年後(2018年)に発表した作品だ。
嵐山は、日本列島の小さな村を旅して「村の人々の生活や習慣を採集する」という雑誌「太陽」の企画を提示して、「きだ」に受け入れられる。このあと、嵐山は「きだ」とともに旅をし、振り回され続ける。ここで体験した「怪人・きだみのる」の記録がこの一冊だ。
恐ろしいのだ。ここに描かれている「きだみのる」は、とにかく恐ろしい人なのだ。帯にある「面白すぎてページをめくる手が止まらない(平松洋子)」「ハテンコウ文人を描いた痛快評伝!」などの、あおり文句は詐欺である。ここに描かれた「きだ」のどこが面白いのか、どの行動が痛快なのか。
子どもの頃、おとなが怖かった。街に立っている傷痍軍人が怖かった。池の端の廃屋の老婆、奇っ怪な言葉を吐き散らしながら歩く男、サーカスの看板をつけて歩くサンドイッチマン(彼には実際、頭を掴まれ、コンクリートに打ちつけられ、流血した)、突然キレてマリンバのマレットで子どもの頭を叩く音楽教師(内出血し、注射で血を抜いた)、中国での凶行を自慢する叔父。彼らに共通するあの目の奥の鈍い光が、とにかく恐ろしかった。
今ならば、彼らを蝕んでいた戦争後遺症、PTSDについて話すこともできよう。ただ当時(昭和30~40年代)は、そんなのんびりしたことを言える状態ではなかった。日本国中が戦争後遺症であり、PTSDだったのだから、誰もそれを指摘できないし、俯瞰できない。それが当たり前の世の中だと、社会とはそういうものだと、誰もが疑いもなく信じていたのだから。(昭和が良かったとか、懐かしいという人の気がしれない。今の方がずっといいに決まっている。とりあえず、あの狂気から逃れることができたのだから。)
そんな時代を俯瞰できる数少ない人の一人だった「きだみのる」は、どのように生きることを選んだのか。
財力や人脈もあった鶴見俊輔は、『思想の科学』を発刊した。
戦時を耐えていた金子光晴は、『落下傘』『蛾』『女たちのエレジー』『鬼の児の唄』など代表作を一気に発刊した。
日本人にちょっと期待をしていた太宰治は、絶望の果てに入水した。
「きだみのる」は、どうしたのか? 彼は、国家を捨て、自らに染みついた知性と、あの戦争でもビクともしなかった日本の文化(農村の最小単位・部落に生き残っていた旧来の日本の文化)に生きたのだ。国家を、政治を、社会を、権力を、名誉を捨て、ただ自らの血肉となった知性だけを持って、部落の文化(自己中心的で、ケチで、欲張りで、見栄っ張りで……)を生きようとした。
国家が、新しく身につけようとしている「自由」「民主」思想を、ただの格好つけの衣裳と見抜き、それを装うことを拒否した。社会からは、異端どころではない、埒外のものと厄介がられた。その生活の記録が本書、嵐山光三郎著『漂流怪人・きだみのる』だ。
泣いた。これは、とんでもなく悲しい一冊だと思った。
「きだみのる」が別の時代に生まれていたら、どんな活躍を見せただろう。新しい世界の扉を見つけてくれたかもしれない。しかし、彼の生まれた時代が、それをさせなかった。それでも「きだみのる」は、嘆かない。ただただ、格闘した。ただただ、暴れた。圧倒的に勝ち目がないことは、最初からわかっていた。誰にも理解されないことも理解していた。でも、そうせずにはいられなかった。
この本の中で「きだ」が暴れれば暴れるほど、悲しく、寂しくなってくるのには、そんな理由がある。
……グレーバーまでは、なかなか届かない。「きだみのる」沼に、もう少しハマっていたい。