【鉄道自分史】#4「かなわなかった40年ぶりの再会」糸魚川東洋活性白土
鉄道好きの私は、中学時代蒸気機関車の撮影によく出かけました。いつも大阪から日帰りができるところしか行けませんでしたが、日帰りで行けるところから蒸気機関車がなくなり、中学2年の冬休みに友だちと3人で九州へ3泊4日で撮影に行ったのを最後に高校受験まで活動できませんでした。高校に入った1975年には国鉄の蒸気機関車は北海道に残っていましたが、その年の暮れには国鉄からはすべて廃止されてしまいました。北海道へはいけませんでしたので、そのころから廃止されそうな地方の私鉄や国鉄ローカル線を主に訪ねるようになりました。
この写真も、そのうちの何枚かで高2の夏休みに一人で京都府北部の「加悦鉄道」、石川県の「尾小屋鉄道」、そして、新潟県糸魚川の東洋活性白土という工場専用線の小型蒸気機関車を取りに行った時のものです。そこでは、懐かしい石炭や煙の匂いを味わうことができ、空の貨車にも乗せてもらい国鉄線から工場までの短い距離でしたが、蒸気機関車の出す音や足元から聞こえるジョイントの音が今も耳に残っています。
左が私ですが一緒に写っているのは、そこで出会った3つ下の中学生でなんと大坂から一人で来ているということでした。また、大阪でもすぐ近くであることがわかりすっかり意気投合し友だちになり、帰ってからも数年間は高校の文化祭に呼んだり手紙のやり取りもしていました。その後は、音信不通になっていましたが2015年ごろFacebookで再会ししばらくネット上でのやり取りをしていました。
そして、2017年8月に新潟で会って以来40ぶりの再会をしましょうと相談していましたが、都合が合わず翌年に持ち越しました。そして、久しぶりに見た彼のページの書き込みは本人のものではなく友人の書いた訃報でした。すぐに、初めてかける電話番号に連絡して奥さんに確認しましたが突然死だったようです。詳しいことはあまり聞けませんでしたが40年ぶりに会おうと思っていたことを話すと、「そんな知人がいてくれたことをうれしく思います。」と言ってくださいました。そんなことがあって、できるうちに何でもしておかなければならないということを痛感しています。
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