【鉄道自分史】#3「鉄道趣味への道~九州撮影旅行(中学時代)」
#1#2で書いた九州旅行に至るまでのお話です。
鉄道好きだった私は、中学校での友だちは鉄道仲間だけでした。その中でも写真の両側の双子の友人は今でも集まるほど付き合いが長く続いています。
この写真は1973年1月6日、中学1年の冬休み、関西本線月ヶ瀬口で撮ったものです。それまでも友だち同士で「D51伊賀号」に乗って笠置へは行ったことがありますが、本格的に鉄道のダイヤも調べ計画を立てて撮影に出かけたのは初めてでした。一人では行くことのなかった遠くへの撮影も、二人のおかげで何度も経験することができました。
この二人とは、クラスは一度も一緒になることはありませんでした。休み時間集まって鉄道の話をするというのでもなかったのですが鉄道好きというだけで気が合ったのだと思います。
この後、毎月ほど関西本線方面へ一緒に出かけるようになりました。その関西本線の蒸気機関車もこの年の9月末で廃止されてしまいました。しばらくは目標を失い二人と話す機会が減っていきました。そんな中、11月はじめ頃だったでしょうか。二人から冬休みにまだ多くの蒸気機関車が走る九州へ行くから一緒に行こうと誘われました。多分二つ返事でOKしたと思います。
ただ問題は親の説得でした。はじめは、相手にされませんでしたが私の熱意に負けとうとう許しが出たときの喜びは忘れられないものでした。そして、三人で計画を立て3泊4日すべて夜行列車での移動という2度とできない冒険旅行に12月24日2学期の終業式の夜に出たのでした。
最高の思い出となった九州旅行にも一緒に行ったこの2人との出会いは、いまだに続くかけがいのないものとなりました。この旅行を計画し誘ってくれたこと、双子がアルバイトで買った8ミリカメラを旅行中何度か使わせてもらったこと、そして、高校は3人違ったが何度も撮影に行ったこと、本当に中学高校時代の思い出はいつもこの二人と共にあったことを忘れることはないでしょう。
また、はじめは相手にもしてくれなかった九州旅行を最後は許してくれた両親、本来は校則に触れるであろう生徒だけの旅行を後で言った時、笑って「よくやった」と讃えてくれた鉄道研究会の顧問の先生に感謝の気持ちをこの場でを借りて伝えたいと思います。