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アスペとサイコパスの違い

矢野先生の問題解決セラピスト講座で習ったことで、共感力というものには2種類ある、というものがありました。

ひとつは「共感力」。
人の気持ちを自分ごととして感じる力。

もうひとつが「メンタライジング」
他人の気持ちを推し量る力。

で、メンタライジングが高くて共感力がほぼ無いのが「サイコパス」の定義らしいです。

サイコパスって猟奇殺人者のイメージがあったのですが、政治家とか外科医とかにも多い気質のようで、結構いるみたいですね。
(猟奇殺人者のイメージは、映画『羊たちの沈黙』によるものらしいです)

でも、確かに人の痛みを自分ごとに感じる『共感力』が限りなくゼロだからこそ、自分の信念を達成するための猟奇殺人も出来るし、病気を治すために人の身体にメスも入れられるし、国を良くするためなら誰かが苦しむ可能性がある政策を容赦なくやれるのかもしれません。

そういった意味では、共感力が無いからこそ出来る職業もあるんだろうなと思いました。それは恐らく私には出来ない仕事ばかりだな。

私なんぞは誰かが爪が剥がれたとか言えば自分の爪を剥がしたみたいにゾワゾワするし、子どもが膝を擦りむいて泣けば自分の膝を擦りむいた気持ちになって傷口にさわれません。
子どもの歯も抜けません、怖くて。人の歯なのに抜いたら自分が痛い気がする。
共感性羞恥も恐ろしく強いので、誰かが恥をかく場面にいると、自分も一緒に「ワァ…」と顔を両手で覆って穴に潜りたくなります。

つまり人の痛みを自分ごとのように感じる『共感力』がフルスロットル。
人の身体を切る仕事なんて絶対に出来ないと思うので、それが出来るということには尊敬しかありません。


でも、待てよ?
ASDは「人の気持ちがわからない」からコミュニケーションに難がある人じゃなかったか。
こんなにも人に共感出来ているのに人の気持ちがわからないとはなんぞや。
バリバリに共感しておるではないか。と、ずっと思っていたんですよ。

実際「もっと人の気持ちを考えなさい」って怒られてきたよ、私は。
いや人の気持ちを痛いほど考えてるっつーの!!と思っていたよ。

でも今回『メンタライジング』という概念を習って、すべてが繋がった気がしたのです。

私は、相手に起こっていることを自分ごとに捉えることが出来ても、それを相手の視点から想像することが苦手なんだ…。

ということで、まとめました。

「腰が痛い」と言う人がいるとき
"痛いのつらいなぁ"って共感出来る人と、"重いものでも持ったんだろうなぁ"と痛みの背景を想像しようとする人。

大抵の人は多分どっちかに偏るんじゃなくて、それぞれの感覚をバランス良く持っているんじゃないかと思います。

でも偏ると、こうなる。


例えばメンタライジングに思いっきり偏った場合。

想像してみたら、お医者さんってこういう人めっちゃいる‼️‼️って思った。子どもの発達相談とかしても、薬出せばいいとか診断書出すには心理検査結果云々とかそういう話ばっかりで、本人の気持ちや現状とか、親の気持ちにはびっくりするほど寄り添ってくれない方ばかりなんですよね…。
少しは相談したいのに冷たい言い方されて「そんな言い方ないでしょう」って泣いちゃったことがあります。その後、心理士さんが来て下さって「お母さんの不安な気持ちわかりますよ」って寄り添ってくれたときは「神!!」って思ったなぁ。

でも多分これが適切な役割分担というか…毎回痛みを抱えた患者さんに感情移入してたらお医者さんって精神持たないよね。多分。


でも共感力が強いならいいかと言えば、共感力に全振りしてメンタライジングがないとしたら「私ならこう思う」のゴリ押しになるんだろうな、と。
すべての痛みを自分ごとに感じる故に「自分なら」ばかりで相手視点が吹っ飛んでいる。

自分は、ものすっごい共感力は高いと思う。
けど、確かに他者の視点というのがガッポリ抜け落ちていた。だから多分共感力全振りタイプなんだと思います。
それが「空気読めない」俗に言う、アスペルガーになってくるんじゃないかなぁ…と。

診断ついてからかなり他者視点を意識するようになって、40代になってからメンタライジングを身につけるべく努力しております。

小さなころ、自分の祖母が亡くなったとき。
イマイチ人の死に実感がわかなくて、周りの泣いている人を見て「自分にとってここは退屈な場でしかないが、みんなは何で泣いてるんだろう」って不思議でたまらなかったことを思い出しました。(祖母とはそれなりに関わりがあったはずだけど、当時は何も感じてなかった)

「あの人にとって大切な人だったから、もう会えない事が悲しいんだ」という想像を一欠片も出来ていない。
自分が過去怒られてきた状況を思い起こすとこういうとこだぞ。すべての物事を自分基準で考えてしまっている。

過去の自分を思い起こすと、その思考の偏りがちょっとこわい。


で、ASDの「人に共感できない」というのは多分「共感出来る部分が超絶偏ってる」っていうことなんじゃないかなぁ。
結局のところASDって感覚過敏しかり、心理検査とかの能力値しかり、共感能力しかり、とにかく偏ってる。バランスが悪いんだね。

ただ、人の気持ちに共感出来すぎるお医者さんは恐らく心を壊してしまうことが想定出来るように、偏っているからこそ適した場所というのがきっとあるはずで。それを見つけられたらきっと『生きづらさ』なんてものは感じないのかもしれないなーと思いました。


で、ここからは持論ですが

共感力は「創造力」
メンタライジングは「想像力」

…ではないかと!!!

人の痛みや心を自分ごとのように捉えて自分の中に作り出せる人は、物語を作ったりすることが得意なはずです。多彩な人の痛みや心を全部"自分ごと"にできてしまうんだから。

でもそれはあくまで「創造」であり、自分から創り出したものでしかないんですよね。ただその創り出した自分の中の虚像は、共感力が強ければ強いほどリアリティが出てくる。

実在する人間に"自分のことが書かれているかのようだ"と錯覚させるようなキャラクターを作り出すためには、他者の心を自分の中でキャラクターとして創りあげる共感力ありきだと思います。

だから私の「共感力全振り」みたいなパラメータ持ちは創作者向きなんじゃないのかな!!!って思ったり。
実際、創作者って集団行動苦手な人多くて。
これも人の気持ちを推し量った行動が苦手だからでしょうね…

で、創作者って心を病む人異様に多いんですよ。
これも他者の心を取り込みすぎるからのような気がします。良くも悪くも全部入ってくるので。

逆にメンタライジング全振りの人は自分の感情を表に出さずに相手の感情を読むことのほうに長けてるので、多分自分の心を表現することってすごく苦手なんじゃないかと思います。
でも他者が何をしてもらえれば喜ぶのか、を想像する力があるから他者の心を掌握するのは得意なのかもしれません。空気は読めるが、感情が見えない…みたいなミステリアスな感じになりそう。

まぁ大抵の人はどちらかに全振りではなくてある程度のバランスで両方持ってる気がしますけど、こういう理屈がわかってくると、案外面白いこと出来るのは偏った側の人間かもな、なんて思ったりするのです。 

用語の解釈に誤りがありましたので、こちらで訂正してます。

◆Voicyでも喋っています◆


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