表裏一体の正義
ここ数日心の中で戦っていた
自分の気持ちを描きました。
反感を買いづらいよう
いろんなことに応用できるような
表現で漫画にしましたが
noteの過去記事を
読んで下さった
方にはわかる。
そう。
マスクのことです。
私の頭の中では
ここ数日ずっと
こんな戦いが
起こっていたのです。
私はずっと今の
世の中の正義は
「マスクを着ける事」
だと思っていて
「マスクを外す事は
周りに迷惑をかける行為」
だと思っていました。
だからこそ私は
本当は外したくても
外して出歩くことで
周りに迷惑を
かけている気持ちになって
外すことが
怖くなってしまった。
”人に迷惑をかけるのは良くない”
小さな頃から言われること
それを気にしすぎるあまり
自分を大切に出来ないなら
それもいかがなものかと
マスクを外すことを
迷惑に感じる人は
確かにいると思いますが
むしろ、実はマスクを
外してくれることに
ありがたみを感じる
私みたいな人もいるわけで
私にとってはマスクを外して
堂々と店を歩く人というのは
絶対的少数の中で
自分の意思を貫いている
正義の味方のように
見えるわけです。
ある人からは迷惑な行為も
ある人からは迷惑ではなく
ある人にとっての正義が
ある人にとっては悪になり得る
その逆もしかり
人によって
受け止め方が違うことを
「誰かの迷惑になるから」と
自分の意思に反する行動で
抑え込むことは
結局、どこかの誰かに
嫌われないための保身で
保身のようでいて
それを続けることは
最終的に自分への
攻撃になってしまうのでは?
実際、私は体調を崩して
数日寝込みましたし
今も万全とは言えません。
マスクに精神的重圧を
感じる人がいることなんて
知る由もない人だって
きっとたくさんいて
マスクを外す人に対して
「飛沫が飛ぶことによる
感染が怖いと感じる
人がいる」事を前提に
「周りへの迷惑を
考えていない」と
自己中のように
罵る人だってまだ
きっといるけど
じゃあその相手は
「マスクで顔が隠れる事を
怖いと感じる人がいる」
ことは知っているのだろうか?
それを知った上でも相手に
マスクは着ける”べき”と言うなら
やっぱりそれはそれで
「顔が半分隠れることが
怖いと感じる人の気持ちは
考えていない」
ということに
なるんじゃないのか。
結局のところ人には
それぞれの正義があって
自分の正義を
相手に強要せず
相手の正義に
自分の正義を屈服させず
各々が自分の正義を
大切にすること。
そして相手の正義を
認め合う事。
相手を悪だと感じても
それを自分の正義に
染めようとするのではなく
ただそっと
距離を置く。
それが大切なんじゃないか
そう思いました。
だから、私は
マスクを外します。
マスクを外さない方の
意思も尊重したいです。
マスクをしていない私の
飛沫が怖いと思う方は
そっと離れてくだされば
良いと思いますし
話したい相手が
どうしても嫌だと言うのなら
マスクをつけてお話出来ます。
マスクの着脱は
自由であるという場で
どうしても他者の
飛沫が怖いなら
そこに行かなくて良い
選択をする
マスク着用必須の場に
耐え難い苦痛を感じる方は
そこに行かなくて良い
選択をする
どちらかにしなきゃダメなんて
そんなの苦しい。
相手に自分の正義を
求めない。
受け入れられるところは
受け入れる。
それでいいじゃない。
マスクの着脱を
お互いで強要せず
相手がしたいスタイルを
認め合う
みんな違ってみんないい
それぞれ、自分の正義を。
誰にとっても
悪になるものなんて
きっと無いんだと思います。