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自分のつかい方note*世界とわたし⑵*

・前回のつづきmemo

もう少し深入り〜

シェリントンが「人間にそなわるかくれた感覚」と呼んだ六番目の感覚にかんしては、ぴったりの表現である。六番目の感覚とは、からだの可動部(筋肉、腱、関節)から伝えられる。連続的ではあるが意識されない感覚の流れのことである。からだの位置、緊張、動きが、この六番目の感覚によってたえず感知され修正されるのである。しかし、それは無意識のうちに自動的におこなわれるので、われわれは気づかないでいる。

他の感覚(五感)の存在は誰の目にもはっきりとわかる。だが六番目のかくれた感覚については、誰かがそれを発見しなくてはならなかった。一八九〇年代にそれを発見したのがシェリントンである。彼はそれを「外界感覚」と「内界感覚」から区別するために「固有感覚」と名づけた。この命名にはもうひとつ理由がある。自分が自分であるという感覚(自己のアイデンティティ)には欠かせないものだからである。「固有感覚」があるからこそ、からだが自分固有のもの、自分のものであると感じられるのだ(シェリントン、一九〇六、一九四〇)。

われわれにとって、からだをコントロールすること、自分のからだとしてそれを動かすことほど、基本的で大切なことはない。だがそれは、ひとりでにできる珍しくもないことなので、われわれはそれについて考えてみることなどしない。

「妻を帽子とまちがえた男」
オリヴァー・サックス著より一部引用

長くなりました…^^;

アレクサンダー・テクニークでは

・心身の余分な力(筋肉の収縮)に気づき、
それをやめていく。
・(からだのいきたい)方向性を
くり返し思う(thinking)

ことを学習していきます。

筋感覚を扱うことで「固有感覚」が活性化します。(*筋感覚は「固有感覚」の一部)

自分で自分のジャマをしない

わたしたちが努められる
ことはそれだけ。


2023/10/20/mayumi@kyoto
ひつようなひとにもとどきますように  :))




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