からだとこころのセルフワーク*曖昧さ*

おはようございます :) 今日のおはなし

“わたしはわたし”と在るために
からだとこころのセルフワークをしています。

わたしは日本人です。

“日本人の気質”といわれる

曖昧さ、謙遜、遠慮、繊細さ、マナーを守る、職人肌、和を重んじる…

これをいいわるいで、判断することもできますし、わたしも日本人の気質をもってると感じます。

そして、日本人の気質を愛しくもおもっています。文化も(邦楽、邦画など)嗜んでいます。

ことばだけではない

情緒があります。

ただ、生きづらさはありました。

自分のことや思いを発する場が少なかったし、求められなかった。(友だち内では、ありましたが)

むしろ、苦手だし、怖いと思っていた。

中学生の頃、先生に声をかけられ、意見発表のコンクールに自分の思いを作文にし、

大勢の前で、わたしの思いを発表する機会がありました。

何だか、とても清々しい気持ちになったことを覚えています。

そこには評価はあっても、判断はないし、
皆が聞いてくれる場があったから。

いま、通っているアレクサンダー・テクニーク(自分のつかい方)の学校(アライアンス)も

そんな場です。

みどりさん(先生)はわたしに

「まゆみさん、遠慮しないで」

といいます。

そんなつもりはない(自覚がない)のは

それは自動的な習慣となっているからか🐬


元々の気質や性格、傾向はあっても

それが自動的な習慣となるのは

選択できてなくて、

わたしのようでいて

わたしではないのだ。


このことはわたしに

限ったことではなく、

この凝り固まった習慣から

お互いを窮屈にしているのだろう。。。


曖昧さって、時には大切

いいかわるいか、白か黒なんて

ほんとはないんだから。


でも、この曖昧さを“習慣”に

してしまうと、

それは“自由さ”を失ってしまうから

ご注意を。


7/11/2021

よんでくださって、ありがとうございます:)


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