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・前回のnoteつづき
わたしは「限定する」ことに苦手意識がありました。「わたし」と言うことにも!
移り変わっていくモノコトを「限定する」ことに抵抗があったのかもしれません。
「自分の思い」(体験・考え・推測・解釈…)は
あっても、なかなか表に出せないのもそこからきている気がします。
日本語は「わたし」(主語)を言わなくとも通じる言語です。その場をよみとったり、曖昧さをわたしは好んでもいました。
ただ、それでは何も始まりません。
「自分の思い」はそのひと特有のもので
「言葉」にしないと他者に分かり得ないことがあるからです。
アレクサンダー・テクニークを多くの人に知ってもらう、自分の仕事にしていくためには「自分の思い」を知ってもらう必要がある。
「わたし」(主語)から「自分の思い」を打ち出すことが必要になります。
わたしは思い切って!ブログを書き始めました。ATのコンテンツ(内容)だけでなく、クラスのこと、ATを実践して体験したこと、気づいたことを綴っています。
それには“今ここ”(日時・場所・名まえ)
を記すること。「わたし」(アイ)から始まるアイ・メッセージにすること。
「限定する」ことが助けとなりました。
”今この瞬間“とパッケージすることで、
「自分の思い」が出しやすくなったからです。また変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。あとで修正したっていい〜🕊️
移り変わっていくことが前提にあるからこそ「限定する」ことで、今の「自分の思い」をあらわすことができます。
わたしたちは、モノコトが移り変わっていくのを既に知っているから、写真に収めたりと
“今この瞬間”を切りとろうとするんだろうな。それとおんなしなのか。
「人の思い」にこころ動かされこともあるのは“今この瞬間”に思いがぎゅっと凝縮されているからかもしれません。
2025/2/25/mayumi@Kyoto