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*こころをひらく*
・前回のnoteつづき
中尾ハジメによる
ー経験を通して学ぶための考えるスキルー
大阪スクールの4回目。大阪スクールは出席数が多いので(15名程)、二つのグループに分かれて、ディスカッションしていきます。
それぞれの本の紹介文を読んでいき、本人に
問いかけをしていきます。わたしはその人のその感情に至るまでの過程が、知りたいんだなあと思います。
ある人は、わたしの”問いかけ“に”答え“ていくなかで「何か」に気づいたようでした!
わたしもその体験をしていたのもあって、
とても興味深かった。「何か」に気づいてもらおうと意図して、問うた訳ではなく、ただ知りたい気もちから問うただけだったから。
わたしの興味関心は、紹介文が「自分のコトバ」で書かれているのかどうか。
本の説明ではなく、自身の「体験」を言語化しているか。これはわたしのテーマでもある。
自身の「体験」に「コトバ」をくっつける。うまい言葉に「体験」を当てはめない!
ある人の紹介文は、自身の「体験」をゆたかに「コトバ」に綴られていて、どのようにしてその感情に至ったのかがじんわりと伝わってきました。ああ、これは「自分のコトバ」
だなあと思いました。
ディスカッションを終えて、フィードバッグを書いていくにあたり、ハジメさんは
「今までを振り返って、自己評価を書いてください。どう変わっていったのか。こころを開いてるかをモノサシにしてみて」
と言いました。
わたしは自己評価をして、説明文から体験文に変わっていったこと。「こころをひらく」モノサシ(観点)でみると、ある感情は、どのようにして至ったのかは書かれていないことに気がつきました。
なるほろ。「こころをひらく」ことが
「自分のコトバ」で伝えることのヒントになりそうだ。もちろん「こころをとじる」こともあるだろう。それはナゼなのか。とか。
皆さんの体験文もどのように
変わっていくのか、変わらないのか
たのしみです。
2024/2/24/mayumi@Kyoto