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表現の自由戦士とエスタブリッシュメントの奇妙な関係

人権を侵害することで付加価値が生じることがある。その付加価値を享受している人間にとって、人権回復運動をする人たちが利益の簒奪者に見えるのだ。

‪人権侵害による付加価値の獲得は「資本家による搾取」という構図なら分かりやすいが、「女性差別における性的搾取の構造」などになると、分からなくなる人が一気に増える。‬

‪例えば非正規雇用で働き、値引きシールの付いたパック惣菜を食べて「あったまるなあ」とか言ってる生活レベルで、手に入る癒しがアニメ・漫画とコラボした何かのおまけのクリアファイルくらいという人に、仮に「お前の好きなあの作品は性的搾取だ、お前は人権侵害による付加価値を享受しているのだ」と言っても、‬‪「これ以上奪われてたまるか」となるだろうなと思うんだよね。‬

‪移民とパイを奪い合う側の人間にとって、そんな心配のないエスタブリッシュメントのいう「移民受け入れ」が‬暴力的に映るように、
すでに搾取し尽くされた人間にとって、わずかに手元に残った安価な趣味が人権侵害かどうかのジャッジに終始晒され規制圧力がかかることを暴力的に感じるというのは理解できる。

エスタブリッシュメントにとって、アニメや漫画は遊びの選択肢の一つに過ぎない。一方で中高生や貧困層にとっては唯一の趣味であったりするわけだ。「規制」がかかることにあれほど強固に反発する理由の一つかも知れない。

しかしながら、注意してもらいたいことがある。

現在の地位を確固としたものとして維持したいエスタブリッシュメントにとって、反差別や人権回復運動など邪魔でしかない。彼らにとっての現在の最適化戦略は、「表現の自由戦士」の味方になることなんだ。

「フェミニスト」や「ポリコレ」や反差別をバッシングし、揶揄し、吊るし上げ、アニメや漫画や日本スゴイのおとぎ話に人々を耽溺させることだ。

ゾーニングなんてされちゃ困るんだよ。性欲で頭がふわ〜っとして、判断力や思考力が落ちてくれなきゃ困る。そうして奴隷労働に勤しんだり、戦争に行ったりしてくれないと困るんだ。

エスタブリッシュメントだけど話の分かる兄貴みたいな顔をして、「リベラルは冷たいよなぁ、誰もお前らを救っちゃくれない。お前らを苦しめてるのが誰なのか分かるだろ?セイホと、ザイニチと、あとフェミニストだ」とやるわけ。手を替え品を替えて。

多くの人がどれかには引っかかってくれる。

何も自分の手を汚す必要はない。目的に即した主張をしているアカウントを見つけて、おだてて、「ネット番組に出ませんか」「本を出しませんか」とやれば良い。おとぎ話に酔っ払ってしまいたい「需要」はたくさんあるんだ。

そういう視点で、ネットを眺めてみて欲しい。新たな気付きがそこにあると思う。

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