「負の性欲」はニセ科学です
2019年11月末頃、ツイッター上でにわかに「負の性欲」という概念を声高に主張する人たちが現れました。魅力的でない男性を女性が忌避することは「負の性欲」だというのです。これらの主張を「進化心理学的に」などと、あたかも学術的主張のように装うツイートもみられますけど、明らかなニセ科学ですよ。以下論考していきます。
発端
元々のツイートはアカウント凍結のため画像のみが残っています。単なる個人の(差別的な)思いつきですね。はい。
それを元に以下のようなツイートがされて、それでワーッと広がったみたいです。(あ、リンク先読まなくていいですよ。)
https://twitter.com/zimkalee/status/1199742287158247424?s=20
https://twitter.com/enfant_teribble/status/1199923950995640320?s=21
性欲とは
えーと、まず性欲って、あやふやで形容しがたい概念なんかじゃないんですよね。食欲や睡眠欲のような身体のメカニズムですよ。そんなね、中世じゃないんだからさ、地球が丸いか平たいかみたいな「議論」をして「大発見」しないで欲しいですね。
近年、fMRIやPET検査という画像検査法によって、リアルタイムに、どんな時にどの脳の部分が強く活動しているのかを知ることができるようになってきました。
エロティックな映像を被験者に観せたら脳のどこの部分が強く活動するのか?というのをfMRIで調べた実験があります。
調べた結果、扁桃体(へんとうたい)、視床下部(ししょうかぶ)、腹側線条体(ふくそくせんじょうたい)という部分に活性がみられました。(Karama Sら 2002、PMID:11870922)
PET検査で調べた結果もやはり視床下部、線条体なんですね。
(Redouté Jら 2000、PMID:11098795)
じゃ、生理的嫌悪感って?
はい。fMRIで調べたところ、嫌悪感は前島皮質(ぜんとうひしつ)というところと関連しているとわかりました。このとき腹側線条体には特に活性を認めていません。(Phillips MLら 1997、PMID: 9333238 )(Borg Cら 2013、PMID: 22258801)
全然違うところが活動していますね。つまり、「負の性欲」論者が思い描くような、脳の中で「性欲判定機」みたいなのがあって性欲に合致するから好ましく感じ、性欲に合致しないから嫌悪感を抱くなんてメカニズムはどこにもありません。
もうすこし詳しく解説します。
以下は講談社ブルーバックスの『「こころ」はいかにして生まれるのか(櫻井武)』を参考に書きますね。
情動に深くかかわり、「快・不快の記憶」をつかさどる部分は扁桃体にあります。ヘビやクモを見て怖い、いやだ、不快、と感じるときは扁桃体が働いています。
「怒り」や「恐怖」には特に強く反応することがfMRIを用いた実験でもわかっています(参考p129)。
上にあげた論文で性欲が働いたときに扁桃体も働いているじゃないかとお思いでしょうが、扁桃体に障害を持つ人は「パーソナルスペース」に見知らぬ他人が入ってきても不快とは感じず、クモやヘビを平気で触ります(参考p150)。また、扁桃体を切除された猿は性行動の亢進、つまり見境なく交尾しようとするようになる(参考p82)ことから、ブレーキ役として働いていると考えられます。
身を守るために感じるのが不快感、恐怖、嫌悪感なんですね。性欲とは何らかかわりがありません。
さて、では性欲などの「欲」にかかわる部分はどこでしょうか。
おそるべき「報酬系」です。
ラットを使った有名な実験があります。(これは講談社ブルーバックス「進化しすぎた脳」池谷裕二p62-68にも載っています。)
1953年にオールズとミルナーが行った実験です。ラットの脳に電極を刺し、レバーを押すと脳の中隔(ちゅうかく)という部分に電気刺激が入るようにしたところ、食べるのも忘れ、眠るのも忘れ、発情期のメスにも目もくれず体力の限界を超えてもレバーを押し続けるようになったのです。
その後の研究で内側前脳束(ないそくぜんのうそく)、視床下部(ししょうかぶ)、側坐核(そくざかく)、腹側被蓋野(ふくそくひがいや)などでも同様の効果が表れることがわかりました。これらの一連の領域を「報酬系」と呼びます(参考p159-162)。
ここで挙がっている側坐核が、とくに快感の記憶に関与して、また同じことをやりたくなったり、やめられなくなったりするのです(参考p168)。
上にあげた論文で、性欲が働いたときにfMRIで活動がみられた腹側線条体にあるのが、その側坐核なんですね。性欲が働いたときには脳の中の「報酬系」が活発に働き、快感を生み出しているわけです。
キモイと感じるとき
嫌悪感や恐怖、不快感を感じた時は前島皮質や扁桃体が活性化された一方で性欲をはじめとした「報酬系」は働いてませんでしたよね。
これ、理にかなっていると思います。
もし仮に生理的嫌悪感を感じることで「報酬系」が刺激されるならば、生理的嫌悪感を感じる対象にあえて近づくという矛盾した行動につながっちゃいますよね。ラットがレバーを押し続けるように。キモイのに、近づいてしまう。うん、それは下手すると生命の危機に繋がります。
つまり、
「キモイ」対象を避ける「生理的嫌悪感」は性欲とは全く関係ありません。
関係ないものを関連付けて「負の性欲」などと呼ぶのはニセ科学です。
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