日本の現代とそれ以前を分かつもの(温泉大学お湯教授からの宿題)
小論文講師として話題「沸騰」中のお湯先生の架空の大学「温泉大学国際教養学部」入試問題より、小論文の模範解答を書いてみました。問題文はこちら。
(問)
これまでの日本の歴史の変遷を念頭に置いた上で、日本の歴史を「近代とそれ以前」と「現代」に分けるとすると、あなたはどのように区切るか、800字以内で述べなさい。年代で分けてもよいし、何らかの事象をもとにして分けてもよいが、理由を必ず含めること。
ということで、早速、解答をどうぞ!
(答案)
日本の歴史を「近代とそれ以前」と「現代」に分ける方法として、バブル崩壊を起点に分けたい。このような時代区分をするのは、日本人の価値観の変化、すなわち物質的な豊かさに最も重きを置くか否かの分岐点がバブル崩壊であると考えるからである。
近代とそれ以前の時代は、言うなれば日本人が物質的な豊かさを追い求めた時代だとも言える。歴史を紐解くと、日本人は狩猟から農耕中心の生活にシフトしていき、農具や肥料などの進化や米以外の農作物の生産にも力が入れ、生産性の向上に努め、生活の向上を目指した。江戸時代には特にこの動きが加速し、明治時代以降には西洋文化を受け入れることで工業化に成功し、生活を豊かにしていった。戦時中に庶民の困窮は確かにあったものの、その後の高度経済成長によって日本人は物質的に豊かさを飛躍的に向上させていった。
バルブ景気は物質的な豊かさの到達点とも言えるものであった。高度経済成長とその後の安定成長を経て多く日本人は生命の危機を感じないばかりか、余暇を楽しむ余裕ができるほどに物質的に豊かになり、バブル景気は列島を熱狂させた。しかしながらバブルが崩壊し、日本人は物質的な豊かさを追い求めることへの疑問を持つようになった。すなわち、誰もが重要だと感じるカネやモノを追い求めることが自身の幸せに必ずしも繋がらないのではないか、と考えるようになったのである。バブル崩壊によって人々にもたらされたこの疑問は日本の有史以来ほとんど初めての経験であり、この価値観の下で展開される新しい時代こそが現代と言えると考える。
以上から、日本人が物質的な豊かさに疑問を持ち、価値観の決定的な変化が起こる契機となったバブル経済が「近代とそれ以前」と「現代」の分岐点であると考える。加えて、この答えが国家や権力者ではなく庶民の感覚にスポットを当てた一般的な歴史区分とは一線を期す考えであることも強調しておきたい。
(雑感)
・800字で収めることがとても難しかった。最初は、日本を歴史を辿るだけで800字を超えてしまい、バランスが難しい。いっそ、2000字とかの方が書きやすい。
・個人的には、「日本の」歴史という点が難しかった。なぜなら、物質的な豊かさに限界を感じるのは人類全体の必然であり、日本の歴史に限らないから。ただし、バブル崩壊が日本人にとって引き金になったのは、そのタイミング的に固有性があるとは思う。細かなテクニックだけど、人々としていたところを途中から日本人に変換して工夫している。
・国家や権力者といった既存の歴史区分の中でどう時代を分けるかの視点は思いつかなかったので、どなたかの答案を見たい。
・現代の時代の特徴を書いていないので、そこがどう評価されるか?