詩とダンスと、恩寵と。『純粋思考物体』著者、河村悟にきく。
Q1.『純粋思考物体』は1989年に書き終えられたそうですが、執筆当時の河村さんの活動状況について教えていただけますか?
その頃は「純粋思考物体」の作業と同時進行でポラロイド作品の制作にかかりきりでした。外出するときは、肩にCONTAX(註1)をぶらさげていました。
(註1)CONTAX…コンタックス。カメラのブランド名。ドイツ製カールツァイスのレンズを使用できた。
Q2『純粋思考物体』には、そのポラロイド作品や、線描など数点が図録として収録されています。河村さんの仕事にとって、こうした視覚作品の制作は、どのような意義を持つのでしょうか?
文字を書く手が文字の外部へ逃走していくのですが、わたしの線描は読解不能のヒエログリフとして始まりました。意義があったとすれば、文字の線が意味の圏外に失踪すること、そのことにあったのでしょう。
Q3.本書は1ページに1行のみの詩もあれば、数ページにわたる論考の断片もあります。詩集とは異なるスタイルの書物ですが、こうしたスタイルは最初から意図されたものなのでしょうか?
そうです。最初から意図したものです。
詩人には少数派ですが、カイエ派(註2)と呼ぶべき人たちがいます。カフカ、シモーヌ・ヴェイユ、ニーチェ、ポール・ヴァレリー等がそうです。彼等はみな存在の淵を覗き見た人たちです。
存在の淵に立つ詩人たちはみな、カイエ派に属するのではないでしょうか。
(註2) カイエ派…フランス語でカイエ(cahier)は練習帳を意味し、自分のためのノートをさす。現代において「カイエ派」という語は、1950年代末のフランス映画界で起こったヌーベルヴァーグ一派の作家主義をさして使われる場合が多いが、このインタビューでは、他者の目に触れる目的を前提としない、内省的なノートをつける書き手を総称するものとして用いられている、と見るべきだろう。
Q4本書では舞踏やダンス、とくに暗黒舞踏の創始者として知られる、土方巽について深く言及されています。詩人と舞踏家の関係性が気になる読者も多いと思いますが、河村さんと舞踏との関わりは、詩を書く行為よりも以前のことなのでしょうか? それとも以後のことなのでしょうか?
書く行為以前でも以後でもありません。
舞踏の行為の只中で踊りの歯車にはさまれ逆回転して砕かれたことばの欠片を拾い直すのが、わたしの作業です。やがてそれがクリティカル(註3)な肉体の地平に接近していったと思っています。
(註3) クリティカル…critical 批評的な、危機的な、臨界の
Q5.本書の帯文には、刊行者が選んだ「恩寵」(Grace)という言葉が使われていますが、河村さんは「恩寵」といった言葉の意味を、どのようにお考えですか?
「恩寵」は神の出血ととらえています。本テクストでは「鬱血」とも「窒息」とも書いています。この三年ほど近く、わたしは他人と会わず過ごしています。いまは毎朝、窓の向こうの巨きな枝垂れ柳を眺める日々です。
この巨きな柳は、わたしにとっていま「恩寵」という超自然のパンです。
Q6.本書の刊行企画を佐藤究氏より打診されたとき、河村さんが〈アトリエ空中線〉の名前を挙げられた、とうかがっています。そこには、どのようなきっかけ、あるいは思いがあったのでしょうか?
〈アトリエ空中線〉の名前は京都・左京区に寄寓していた当時、近所の書店で見つけて覚えていました。繊細な精神でつくられた装幀はすぐに目を魅きました。
Q7.この時代に『純粋思考物体』のページをめくる読者に、どのようなメッセージを伝えられますか?
『純粋思考物体』は深い孤独な時間の層に棲息する幸福な物体です。物体には沈黙というかけがえのない友がいます。
読者のみなさんにはぜひ、この沈黙という友に語りかけてみてほしい。
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