山の中の陸上スタジアムと、むき出しの専用スタジアム〜フットボールの白地図【第34回】愛媛県
<愛媛県>
・総面積 約5676平方km
・総人口 約132万人
・都道府県庁所在地 松山市
・隣接する都道府県 徳島県、香川県、高知県
・主なサッカークラブ 愛媛FC、FC今治、愛媛FCレディース
・主な出身サッカー選手 實好礼忠、森岡茂、大森健作、福西崇史、阿部吉朗、菅和範、長友佑都、川又堅碁
「47都道府県のフットボールのある風景」の写真集(タイトル未定)のエスキース版として始まった当プロジェクト。前回は、尾張と三河の文化がせめぎ合う愛知県を紹介した。今回は「愛」の字つながりで愛媛県にフォーカスすることにしたい。愛媛県といえば四国で唯一、2つのJクラブを持つ県としても知られる。すなわち、J2の「愛媛FC」とJ3の「FC今治」である。
愛媛県の県庁所在地は松山市。以前にも指摘したことだが、県庁所在地が県名と異なる場合、市の名称を冠するJクラブが圧倒的に多い。愛媛FCは数少ない例外のひとつ。あえて「松山FC」としなかったのは、愛媛県で唯一のクラブという自負ゆえのことだろう。それだけに東予地方から、新たなJクラブが誕生したことは、非常に興味深い現象であった。
私にとって愛媛は、これまで何度も訪れている県。松山も今治も馴染み深い街だが、特に印象に残っているのが、対照的な2つのスタジアムである。すなわち、愛媛FCの「ニンジニアスタジアム(ニンスタ)」、そしてFC今治の「ありがとうサービス.夢スタジアム(夢スタ)」。この2つのスタジアムを中心に、愛媛県の「フットボールのある風景」について語っていくことにしたい。
いきなりゾウのお尻でびっくりしたかもしれない。「愛媛県立とべ動物園」は、愛媛FCのホームゲームが行われているニンスタのすぐ近くにある。ホッキョクグマの人工哺育に、日本で初めて成功したことでも知られる、とべ動物園。実際に訪れてみると、動物の特徴や生態がダイレクトに伝わってくるような工夫が、至るところに施されていて大人でも楽しめる。とべ動物園は、集客の争奪戦という意味で、愛媛FCの最大のライバルと言える。
ニンスタは、1980年に開催されたインターハイのメイン会場として、前年にオープン。当初は「愛媛県総合運動公園陸上競技場」という名称だった。当時の資料には《霊峰石槌山を遥かに望む西野台地の恵まれた自然環境》とあり、都会から離れた大自然にスポーツ施設はあるべしという、昭和の価値観がひしひしと伝わってくる。それから時は流れ、当時JFLだった愛媛FCのJリーグ加盟の条件を満たすべく、2005年に県はスタジアム改修の特別予算を計上する。
かくして愛媛FCのホームスタジアムは、山の中に固定化されることとなった。松山市駅からバスで40分弱。しかも、本数が限られる上に運賃も高い。毎年、クラブが集客で苦しんでいるのは、明らかにスタジアムへのアクセスの悪さが原因である。一方、松山市の中心にある堀之内には、10年以上も放置されている広大な空き地がある。愛媛サポーターならずとも「ここにサッカー専用スタジアムができたなら」と夢想したくなるのだが、行政側にそうした動きは見られない。
そんな愛媛FCが、全国のサッカーファンの間で有名なのは、マスコットの数の多さと認知度の高さゆえのことである。県の名産品であるオレンジをモティーフとした、オ~レくん、たま媛ちゃん、伊予柑太。そしてカエルの一平くんと金太という総勢5匹(?)が、ニンスタでのホームゲームを盛り上げる。このうち非公認マスコットである一平くんは、アウェーの会場や日本代表の試合にも出没するため、サッカー界隈では知らぬ者はない存在となっている。
愛媛FCの前身は、県立松山東高等学校OBが1970年に創設した「松山サッカークラブ」。松山で生まれたJクラブが、愛媛を代表することに異を唱える県のサッカー関係者は、おそらく皆無だったはずだ。同様に、東予に県内第2のJクラブご誕生することを予想した人が、果たしてどれだけいただろうか。「造船とタオルの街」今治市は、松山市に次ぐ人口を誇るが、それでも15万人弱。とてもJクラブを支えられる人口規模ではないと目されていた。
そんな今治に、元日本代表監督の岡田武史氏がやって来て、地元クラブのオーナーとなってから、新たなJクラブの胎動が始まる。写真は新体制となって1年目、2015年の四国リーグでのホームゲーム。スタンドのない人工芝のグラウンド「桜井海浜ふれあい広場サッカー場」には、想定をはるかに超える880人もの観客が駆けつけ、地元のゆるきゃら「バリィさん」も登場した。もっとも当時、観客のお目当ては、FC今治よりも「岡ちゃん」だったように思う。
それから2年後の17年9月、FC今治は市から建設地を無償で借り受け、5000人収容の球技専用スタジアムを完成させる。注目すべきは、あまりにもシンプルな夢スタのデザイン。客席には柵もなければフェンスもなく、まさにむき出しの状態なので、時おりシュートが客席に飛び込んでくる。「足りない設備もありますが、そこは皆さまと一緒に心の豊かさで乗り越えていきたい」と岡田オーナー。今治での壮大な実験は、まだ始まったばかりだ。
中予、東予、南予の3地域に分かれている愛媛県。鯛めしはご当地グルメとして有名だが、中予と東予の「松山鯛めし」、そして南予の「宇和島鯛めし」の2種類がある。前者は、米と鯛の身を数種類の調味料(昆布出汁、酒、薄口醤油、塩など)で炊き込んだもの。後者は、玉子と出汁を混ぜたものに、鯛の刺身や薬味を入れて馴染ませ、白ごはんの上にかけていただく。写真は宇和島の鯛めしで、松山空港で必ず食していた思い出の一品だ。
<第35回につづく>
宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2016年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。