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言葉を考える あいまいさ

日本語であいまいな表現が多用されるのは有名な事実だ。いや有名な認識なのかもしれない。

午後手術だよ。

と言う日本語は、その発言者が医師なのか患者なのかで違う内容になる。

厳密に書けば、
私は午後手術を実施します。と言えば医師の予定だし、
私は午後手術を受けます。と言えば患者の予定ということになるだろうが、
実際は、多くの場合、
午後手術だよ。
で済ますのではないか?

この文を同じようにあいまいなまま翻訳可能な言葉と、どちらかによせて翻訳しないといけない言語があるのだとおもう。

Google 翻訳に入れてみると、、
日本語:午後手術だよ。
汉语:我下午要做手术(Wǒ xiàwǔ yào zuò shǒushù.)
ドイツ語:Ich werde am Nachmittag operiert.
英語:I have surgery in the afternoon.

汉语では、一人称の主語を補い、さらにDoにあたる做を入れることで、私が手術を実施するという内容に翻訳されるし、
ドイツ語では、私が手術される(患者側だ)という前提で受動態が使われる。

意外なことに、英語では医師の発言か患者の発言か区別せずに、Haveを使って言えるんですねぇ。

たった四言語だけれど、それぞれの言語での解釈の仕方が異なることはわかる。そして、日本語に限らずどの言語でもあいまいな表現を許すケースがある。
言語表現は、本当は「発言されない部分」が重要で、発言されない部分に何を補うのかは、各言語の特徴がある。したがって、間違えなく意味を伝えるためには、我々がどの言語を使うかによって、何かを補わないといけないのだとおもう。

言い換えると、私たちの脳内に浮かんだ日本語表現を外国語で言い換えてみると、もともと何を言いたかったのか、はっきりするケースも多いと思う。はっきりさせないと他の言語に翻訳できないからね。

今後、自動翻訳やらコンピューターによる自然言語処理が普及しだすと、人間だったらそう解釈しないという解釈を適用され、それが広く拡散されたりすることもあると思う。

日本語だけじゃない、言語の曖昧さに、乾杯!

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