親が死んでも泣かなくていい。
前回、ドラマ『エンジェルフライトー国際霊柩送還士ー』について、書きました。
国際霊柩送還士とは、外国で亡くなられた日本人の方の遺体送還業務全般を行う人。
そのようなお仕事があるなんて、驚きでした。このドラマは、ご遺体の送還業務を通して、命の尊さや家族の絆を伝えてくれています。全エピソード、号泣必至。
私が特に印象に残ったのは、最終話。
ボリビアで亡くなった母を迎えに行く、新人国際霊柩送還士・高木凛子のお話でした。
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凛子は母・塔子が亡くなったと聞いても、泣くことができなかった。
塔子は「子どもを愛せない」と自覚のある人だった。それでも、離婚時に凛子を引き取り、女手一つで育ててきた。
養育費は一切受け取らず、衣食住に困らない生活を与え、教育を与え、やるべきことはやったと信じている。
しかし凛子にとって、塔子の子育ては「価値観の押しつけ」だった。すべては自分のため、塔子が良き母親だと自分をアピールするがための道具。
あー、おんなじだ。
と思いました。
私も母が亡くなったとき、泣けなかったから。
亡くなってすぐだから、泣けないのかな?半年経って、1年経って、気持ちが落ち着いたら泣けるのかな?と思ったけど、1年以上経っても涙が出てくる気配はまったくない。
ひょっとしたら、私は一生、母の死をいたんで泣くことはないのかもしれない。
私の母も、凛子の母に少し似ている。
シングルマザーではなかったけれど、私が幼い頃、父が病気を患い、1年以上収入が途絶えた時期があった。生活保護を受けてもおかしくないところまで、困窮したことがある。
にもかかわらず、私はひもじさを感じた記憶がまったくない。きっとめちゃくちゃ大変だっただろうし、その点は本当にありがたいと思っている。
でも。
だからといって。
価値観を押しつけられるのはかなりキツイ。
母はものすごく世間体を気にする人で、周りからどう思われるかばかり案じていた。だから、私がいい子ちゃんでいるときは機嫌が良かった。
反対に、意に反することをしたり言ったりすると、怒ったり、いちゃもんをつけてきたり。最後には口をきいてくれなくなって、話しかけても無視をされるのがお決まりのパターンだった。
力が弱かったので、手をあげることはなかったけど、一度だけ本気で蹴りを入れられそうになったことがある。
原因は覚えていないけれど、泣きじゃくりながら、「なんであんたは私の言うことが聞かれへんのやー!」というセリフを吐き、蹴られそうになった。けど、私も余裕で避けられるくらいの年齢になっていたので、事なきを得た。
なぜ、母は私の自由を認めてくれないんだろう?なぜ、ここまで泣く必要があるんだろう?まったく意味がわからない私は、冷めた目と心で母を見ていたことを覚えている。
とはいえ、それはあくまでも私側(娘)の視点の話で。
ドラマでは、塔子にスポットを当てたエピソードもあった。そこには、凛子を愛せない苦しみを抱える母の姿があった。
私の個人的な感想だけど。
塔子は娘を愛せなかったんじゃない。凛子がほしかった愛の形と、塔子が与えることのできた愛の形が合わなかっただけなんじゃないかと思った。
どちらも凸のピースを持っていたから、噛みあわなかった。求めるばかりで、凹みたいに受け入れる余裕がなかったんじゃないかな。
おそらく、私も凸だった。「私が思うような愛し方をしてほしかった」のだと思う。親が子を支配できないように、子どもだって親の心をどうにかすることはできないのに。親がどう育てるかは親の自由なのに。
それでも。
それでも、ありのままを認めてもらえてたら。「よかったね」「よくがんばったね」と一言ほめてもらえてたら。私の人生はもっと変わったんじゃないかと、すべてを親のせいにして、わがままで甘っちょろいことを思ってしまうのです。
もう少し早くこのドラマを観ることができていたなら、私も母の死を前に泣くことができたのかな?
いや、でも、甘っちょろい考えを捨てきれないうちは、泣けないんだろうな。
ごめんね、泣けなくて。
でも、これが私なんだ。
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ドラマの中の凛子は、遠いボリビアまで母を迎えに行き、自らの手で綺麗にお化粧を施して、母を送り出す準備をととのえます。その過程で、どのような心情の変化があったのか。
ぜひ注目してみてください。
もちろん、他のエピソードも号泣必至です。
ではでは、またー!