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2025年はもっと好きなことを書いたらええねん!

2025年初の投稿は、ただただ推しについて語る記事だった。

かなり偏った内容なので、「誰にも読まれなくていいやー」と思っていた。ただ自分が書きたかっただけ。これを書かなければ、わたしは年を越せない!そんな衝動が心の中でフツフツと湧いていたのである。

書き終えた時点で、わたしの満足度は頂点に。あとは野となれ山となれ!じゃないけれど、投稿ボタンを押した瞬間に、このnoteがわたしの元から飛び立っていった感覚があった。

ありがたいことに、今日の時点でスキの数が50を超え、コメントもいくつかいただいた。もちろん、数字がすべてではない。時事ネタともいえる内容なので、単に読まれやすかったのかもしれない。けども、好きなことを書いただけなのに、このような反応をいただけたことは素直に嬉しい。


わたし、この記事を書いたときに思ったんよね。

このnoteが今年一年のわたしを暗示しているんちゃうか?

「2025年はもっと好きなことを書いたらええねん!」って教えてくれてるんちゃうか?って。

そりゃあ、いい反応があれば嬉しいし、人気者になりたいと思う気持ちもゼロではない。

けどなー、想像できんのよ。

周りの人にチヤホヤされて喜んだり、大量のコメントに埋もれて呼吸困難に陥ったりしている自分や、コミュニティのどまんなかで影響力をばらまきまくっている己の姿が。

こうしたらいい。
ああしたらいい。

っていう数々のアドバイスやエビデンスをいったん全部放り投げて、本能の赴くままに書いてみたい。

表舞台に立たんでもええんです。noteという世界の隅っこの方で、自分自身が楽しむために書く。それがわたしという人間のような気がしてます。



なーんて。
新年早々、こんなことを考えてました。

なぜ、わたしはnoteを書いているのか?ふっとわからなくなるときがあって。ちょいと原点に帰ってみたくなったんです。

そもそも、自分を喜ばせられないやつが、誰かを喜ばせられるわけがないもんなー。

noteの世界くらい、自分ファーストでいこ。ただでさえ、生きづらい世の中だもんね。


ではでは、またー!


▼昨日のコレも、割と自由に書いてる気がする。






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テシマ ユリコ
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