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こんなひといたよ 第21話「人の不幸に同情できるおじさんたち」
奥田英朗の「我が家のヒミツ 手紙に乗せて」から「人の不幸に同情できるおじさんたち」を紹介する。
若林亨は父母と妹の4人家族だった。突然の母の死によって家族の状況は大きく変わった。とりわけまだ50代前半で伴侶に旅立たれた父の落胆ぶりは顕著だった。食事はできない、睡眠もとれていない…心身ともに不調をきたしている。亨と妹その父の状況を毎日心配しながら生活をしていた。亨は、共に仕事をする若い同僚たちと、中高年の上司たちでは、自分に対する接し方が随分と違うことに気づく。
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亨の印象では、総じて若い社員ほど、同僚の母親が死んだことに無頓着だった。同期の仲間など、葬儀の翌週には「麻雀やろうぜ」と誘ってきたのだ。女子社員からも、先日「大学OB揃えて合コン、セッティングしてよ」と言われていた。最初は気の毒がっても、三日で忘れるといった感じだ。
対して中高年のおじさんたちは、みな一様に同情の色が濃かった。それも亨にではなく、父親に対してである。石田部長は葬儀に参列し、沈痛な面持ちで、「若林。おとうさんを労わってやれよ」と言っていた。普段は口を利くこともない総務部長や役員まで、「若林君。おとうさんにお悔やみ申し上げてくれ」と会社で声をかけてきた。
これもジェネレーションギャップのひとつなのだろう。人の死に対して、中高年ほど感じやすいのだと亨は実感した。
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私がまだ20代のころ、仕事関係の中高年の先輩方とあるドキュメント映画を見る機会があった。戦前のお話で、村人が協力して山奥の村に道を通すものだった。中高年の先輩方は、一様にその映画を見て感動して涙を流していた。私はまったくそんな感情が湧かなかった。その時に「お前はまだ人生の苦労が足りていないんだ」と言われたことをよく覚えている。
所詮人は自分が実感できない相手の苦労に同情なんてできないのだ。そう考えると、年を重ねて色々なことに自分の情を入れて見ることができるというのは、人生の豊かさと言えるかもしれない。何か見て無感情でいるよりもよっぽど。この物語では、亨の父と石田部長の心の交流が描かれていく。中高年の男の悲哀というか、愛らしさが感じられ、とてもほっこりする。