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バーテンディング【理論】目次

「バーテンダー」には「教科書」がない。

 これが「バーテンディング」という営みを始める際、一定数の人が直面する実情だと捉えています。
より正確に言い表すと、一定のレベルの「バーテンダー」になるために求められるとされるスキルについて、またそれらを得るための手順や筋道について、限りなく万人に適応できるような形で整理された情報が見当たらない、という感じでしょうか。

 ひるがえって、カクテルのレシピについて、ドリンクをつくる際に用いられている道具や機器について、注目のバーついて等、そういった情報は書籍、ウェブサイト、SNSと媒体を問わずそこかしこに存在しています。
しかし、当人が従事する環境や目指す像に濃淡はあれ、こと「バーテンダー」として基本的に求められることについて基礎となるようなことを根気よく語る媒体は、私の管見の限り、依然存在していません。
しかも、それらというのは熟達に近づくほど暗黙知的な世界になることも多く、各々による感覚によって為されている技が増え、極私的な理論(理屈)に終始する傾向もあります。もちろん技能が伴う側面があることは確かですので属人的な部分があることは否めません。ですが純粋に属人的であることと、それが単にブラックボックス化しているということには隔たりがあると思います。
またある程度、指導規範を構築しているグループや、持論を展開する個人も現在いることは事実なのですが、往々にして、前者は比較的大きなボリューム(大きな店舗、不特定多数)に対していかに無難なクオリティを担保しながら効率よくドリンクメイキングができるかという「正解」を出すことに、そして後者はその人個人としての能力と身を置いた環境を前提とした場合の「正解」を述べることに終始している印象です。

 以上のような事態と、そのことによる「バーテンディング」つまり「ドリンクメイキング」について興味を持った人達に向けた「教科書」すなわち「理論」の不在による機会の損失には気づいてはいたものの、個人的に最近(僭越ながら)「バーテンダーになるにあたって何から始めればよいのですか」「バーテンディングについての学習とはどのように進めるものなのですか」というふうに訊かれることが何度か重なったため、その深刻さをより強く感じるに至りました。
今でも様々にスタイルが乱立することはよいことであると思っていますし、またそれが「バーテンディング」を、ひいては「嗜好品」を豊かにすることに関連しているとは考えています。

 ですので本連載とは、ある人には「バーテンディング」を始めようとする際にどこから始めいかに進めるかを示す「教科書」として、またある人には自身の取り組みの現状について見直し方向修正するべきか否かの判断をするための「参考書」として、また別の人には進みたい方向を定めるための目印や指針を見定めるための「啓発書」として機能し得るものとなるよう、各人のスタイル(流儀・流派)や、各々のフェーズ(熟練度・段階)はどのようなものであったとしても、その内容としては限りなく万人が自らの学習と照らし合わせることができるように綴っていきます。

 主に「ストリートファイター」シリーズをプレイし、プロ格闘ゲーマーとして今もなお現役を続ける梅原大吾さんは常々「戦略、戦術を隠さないことによって、より高いレベルのプレイヤーが増え、自分自身のレベルアップにも繋がり、長い目で捉えると日本人プレイヤー全体の強さに繋がる。」というような発言をしています。
「格闘ゲーム」において各々によって構築された戦略の共有 -- 「バーテンディング」業界あればそれは各々がそれぞれに構築する理論の共有 -- を憚らないことで、様々な意味で業界のレベルが前に進むということを言われており、そのことは彼が属する特定の世界のみの話ではないように感じます。
ある業界、世界のトップにある当人には分かっていても説明はできない暗黙知の領域すなわちブラックボックスを持つことによって優位性(地位)を確保してしまうこと、それはつまり相対的に経験を積んだ人にはわかり得ているが必ずしも教育や指導に繋がらなければ伝達や共有が行われなければ、後続の誰もが先人達の叡智を引き継ぐこともありません。
個々人には能力差あり、また環境も異なるわけですから、誰かにとっての方法が他の人にとってそうではないケース、そしていくら言葉に真意を込めようとしてもこぼれ落ちてしまうことがあったり、互いの解釈が必ずしも一致しない場合もあるのだと思います。
ですがより大局的な視座をもって文化的にその行く末について慮るのだとすれば、普遍的とまでは言わずとも一方には「万人に適応できるような理論」を、他方では「各々がそれぞれに構築する理論」というように、それらを併せて共有していくことが、その世界を更に前へと推し進めることに寄与するのではないかというのが私のスタンスです。

 そして本連載『バーテンディング【理論】』とはその前者(普遍的とまでは言わずとも一方には「万人に適応できるような理論」について綴ること)を担当します。
これから「バーテンダー」になる、あるいは既に「バーテンダー」である、また必ずしもバーテンダーでなくとも「バーテンディング」つまり「ドリンクメイキング」に携わるもしくは興味がある、そして取り組む活動が「バーテンディング」でなかったとしても同じく成長や変容を試みている、そう希んでいる方々への一種の「理論」であると捉えていただけると幸いです。


1) バーテンディング【理論1】座学と実技(1)

「バーテンダー」として練度を上げるため、どのようなことに関して、いかなる手順・道筋で知っていけばいいのか、ということに主眼を置き、研鑽を続けようとする限り、これから始めようとする場合から既に熟達の域に達しているケースであっても、常に必要ではないかとされる「座学」と「実技」の両輪のうち、その一方の「座学」とは何であり得るかということに関して整理したものが【理論1】となります。

2) バーテンディング【理論2】座学と実技(2)

 前回の稿では「バーテンダー」としての研鑽、ひいては「ドリンクメイキング」における成長には「座学」と「実技」の両輪が不可欠ではないかということを示し、その後者「実技」に光を当て整理を行ったのが【理論2】です。
自らがどのようなものを想像・構想しており、具現化したいかに照らし合わせ、実際にそれを実現するために考慮する必要がありそうな要素について自覚する一連の流れについてが主な内容となります。また各々とそれぞれが属するグループの嗜好性・志向性、世界観がいかにそのプロセスに関わってくるかについても少し触れています。

3) バーテンディング【理論3】共通性と個人差

 バーテンディングにおける研鑽では「座学」と「実技」が必要ではないかとし、前々回は「座学」、前回は「実技」とそれぞれについて整理しました。
その内容を引き継いで、「座学」と「実技」を両輪とした取り組みを続けていった場合には、何が発露し、どのように顕現し得るのかということを、それらの総称を「理論」として内容にしたものが【理論3】になります。
 数多あるとも言える「理論」には「嗜好性」「方法論」「技能」が共通して見出せるのではないかと抽象的な観点から、それぞれの要素ではどのような差異が既に起こり得ているのかということを具体的な事例を引いて見比べてもいます。
そしてそのこととは、どのようなことが「正義」で、何が「愛」かということが抽象的なレベルでは一定の共感や同意は得られたとしても、その表現方法や受け取る際の解釈など具体的な行為行動のレベルでは常に均一ではないように、何がどうなっていれば「バランス」がよいのか、また何をどうすることが「方法」として正しいのかということが、何がどのようにしてドリンクに落とし込まれるのかということとひと連なりになっていると考えています。またそこには一人一人がどのように生きてきて、何を経験してきたか、そしてどのようなことを見据えているのかということも自ずと関係しているとしています。



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 一点付け加えますと、本連載とは私個人の思想や理想を綴るもの一線を画しているものと位置付けており、分けて以下の別連載で綴っています。