バーテンディング【理論1】座学と実技(1)
『バーテンディングにおいての研鑽には、一方で「座学」が必要であり、また他方では「実技」が必要』になる、というのが本論の主題です。
そして、本稿の内容が主な対象となり得ると想定しているのは、これからバーテンダーになる(なりたい)、ドリンクをつくり始める(つくりたい)という、バーテンディングという営為の入り口には立っていることについては明瞭だけれども、しかしどのように進むことができそうかについては不明瞭だという方々で、いわゆる導入部に関して著そうとしています。
もちろん、既に始めている方々(自分を含め)にとっても場合によっては自らの取り組みを省みることができるものとなっていると感じていますし、またはそうでない方々にとっても実際にバー業界で従事している人物とはどのような「発見」と「実験」を繰り返し、いかに一つ一つの要望(注文)に応えることができるよう準備しているのかということについての理解を進め、次回どこかへ来店する際には注目するポイントや意識することのできる範囲を変えるものとなるかもしれません。
座学と実技の両輪について
まず本稿におけるそれら2つの言葉の定義を示します。
というふうに捉えた上で、それぞれについての話を進めたいと思います。
そして本稿では〈1〉座学の話を中心に進め、次の記事で〈2〉実技、そしてその次では座学と実技の両輪が併存し交わった先に現れる「理論」について整理します。
〈1〉座学
では「座学」を上述のように捉えると、「情報の収集」がその目的となるのですが、一口に「情報」といっても様々ですので、バーテンディングにおいて集めたい「情報」とはいかなるものなのか、その代表的なものとして(1)常識(2)趨勢(3)歴史の3つを挙げたいと思います。
(1)常識 = 基本的な知識、業界で通念となっていること
何事にも同様のことが言えるのではないかと思いますが、一定の専門性を伴い、私達が続けてきた何かしらの営為に参入していくということはそれすなわちそうするほとんどの人が先行する人々を後から追うということを意味します。
ですから、その対象としている営みに取り組む上で、またその営みについての話をする際に、関わる誰もが認識しているだろうとされる「前提」-- 換言すれば、誰もが「当たり前」だと信じていること -- に関して知っていく必要が自ずとでてきます。
具体的には例えば、長年愛され親しみ続けられ「クラシック」あるいは「スタンダード」であるとみなされているカクテルのレシピを知っているかどうか、無数にカクテルがあるようにも見えるが実際にはいくつかの種類・方向性に分かれていることを知っているかどうか、それらに伴い用いられる技法も一定数に限られており各々には細かくしかし如実に差があることを知っているかどうか、などがあると言えます。
ですので、それら既に存在しているものを認識することや、専門性として今日に至るまでに開発され発展されてきた知恵について理解することとは、私達が従事する「現場」で専門用語が飛び交ったとしてもスムーズに対応できるようになることにも、ドリンクを届ける相手の嗜好性(その人はどういったものが好みで、またその瞬間はどのようなものを求めているのか)についてより解像度高く応対することのできる可能性を上げることにも繋がります。
しかし、ここまでの内容と矛盾するようにも聞こえるかもしれませんが、互いに同じく「バーテンディング」に取り組んでいたとしても、あるいは互いに同じく「バーテンダー」であったとしても、また同じ「バー」と呼べる場所で従事していたとしても、ある価値観とそしてある世界観を比べた場合には、一方で「常識」となっていることが他方では「非常識」、また一方ではある事が限りなく重要視されているが、他方においてはその優先順位が逆転している、ということが往々にして起こっているということも事実なのです。
そこで続く「(2)趨勢」ではそのことについて詳しく綴りたいと思います。
(2)趨勢 = いくつもの世界観が存在していること
「趨勢」という言葉を聞くと、ある分野や業界における所謂「流行」「トレンド」といった唯一の「大きなうねり」を想像するかもしれません。もちろんそれは一面ではその通りなので、バーテンディング業界であっても何かを基準の軸とした場合にどこか特定の会社、グループ、店舗がその他すべてよりも相対的にある点では強大であると言えます。
しかしここで述べたいのは、それら強大で唯一とも言える存在というものが、数多くある「流れ」、つまり異なる種類の「嗜好性」「志向性」、すなわち程度の差はあれ別々の「価値観」「世界観」において、その数の分だけ複数存在しているということであり、その意味でここでの「趨勢」とは、それら複数の流れについての関係性についてを指しています。
(1)のときと同じようにこちら(2)でも具体例を挙げてみますと、一つには「日本」という土地に入り込んできた「バーテンディング」がその環境で独自に変容しその方向性のまま発展し続けた技術論を採用する方向性があり、また一つには「日本」以外の国で標準とされている方法論の中でいかに抜きん出るか、ある種世界基準のパフォーマンスを取り入れる方向性があり、そしてもう一つあるとすれば「日本」か「世界」かというよりそもそも土地や環境というよりはまだ他が発見していないような手段やプレゼンテーションを開発しようとする方向性(など)があります。
(今後展開していく話を少し先取りすると、私個人としては1つ目を「オーセンティック」、 2つ目を「インターナショナル」、3つ目を「ミクソロジー」としています。もちろんこれらですべての趨勢を網羅したわけではないでしょうし、これからこれらとはズレた流れも生まれるでしょう。)
上記のような「流れ」「方向性」-- 異なる「スタイル」や「ブランド」と言い換えることもできますが -- の存在についてできるだけ知ることは、自分がどのような「バーテンダー」になりたいのか(ありたいのか)、自らの「バーテンディング」とはいかなるものなのか(いかなるものでしかないのか)ということについて、事前に理解し、またその最中にも自覚しながら、その営みに取り組む上ではとても重要であると、私の中では確信しています。
そしてまた、自らが取り組む「バーテンディング」の種類というのは、学ぶことができる要素も、バーテンダーとして何を大事にするべきかという流儀も、凄まじく変わり、自らがつくるドリンクの仕上がり、そして自らにおけるホスピタリティのあり方というものに直結ものであるため、いずれかに身を置きながらも常に多様な「趨勢」を敏感に感知しておくことが重要ではないかと思っています。
しかしまた、自ら属するその「流れ」がいかなるものであったとしても、それらがどのように絡み合い、またいかに断絶や無理解を起こしているかについてより明瞭な認識をもとうとすることも、常に選択をしていかなければならい私達にとって同様に重要な点であると考えており、そのためには私達業界が今日のような状態になるに至って様々に影響力をもったとされる「バーテンダー」のバックグラウンド(背景)や、「バーテンディング」という営みの変遷具合について、つまり文脈を形成している「歴史」を辿ることが求められるのだと思います。
(3)歴史 = 軌跡として蓄積されていること
先に結論めいたことを言ってしまうと、「歴史」を辿ることで、自らが取り組む「バーテンディング」とはいかなる時代性が付き纏っているものなのか、また自分の属する世代とは「バーテンディング」においてどのような位置づけなのか、あるいはどのような立ち位置であり得るのか、ということに気づくことに繋がります。
そして「歴史」を知ろうとすることはそれすなわち先の「常識」と「趨勢」について知るということであり、また「常識」と「趨勢」を知っていくこととはそれによって自ずとその営為、業界、世界の「歴史性」について知ることであります。
つまり、今日に依然として残り続けている道具や機器、技法や理屈などが、いつの世代のどのような人達がいかなる時代に発見され、開発され、何が理由で私達の「常識」になっているのか、そしてそれら当時の流れがどのような経緯や経路で現代の「趨勢」に連なっているのか、もしくはそれが途切れている原因はなんであるのかを知ることができ、そうすることで各々が自ら取り組む営み、自らが身を置く業界、自らが想像し構築する世界(世界観)に対してのある種批評的とも呼べる鳥瞰図を手に入れることができると考えています。
そうした鳥瞰図、すなわち各々の「バーテンディング」についての整理を一種の知恵として異なる時代を生きる他と共有することで、その粒度がきめ細やかなものになり、ひいては「バーテンダー」としての新しいあり方(これまでにはなかったオルタナティブな発想)、「バーテンディング」という営為をより文化的、思想的に芳醇なものへと昇華させることに寄与することにまで繋がるのではないかと私個人としてはみています。
本稿ではここまで、バーテンディングにおける研鑽についてを要素分解した場合、〈1〉座学と〈2〉実技に大まかに分けることができ、その一方である〈1〉座学を(1)常識(2)趨勢(3)歴史として整理してきました。
次の記事では、もう一方である〈2〉実技について、本稿と同じように3つの要素に分け、整理していきます。
そしてその後、それら「座学」と「実技」が両輪となって「バーテンディング」という営みを続けた時には(「座学」と「実技」が交わった先では)、各々によるそれぞれの「理論」が導かれるということを見出す話に移行する予定です。