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最上和子公演 オブスクラ 舞の発生

この時が来た。
ぼくは会場に入り目を閉じて時を待つ。
呼吸を整え、心を整え自我の動きを弱くする。
目を開くと舞台には衣装に包まれた最上和子が立っていた。

踊り手である最上和子はゆっくりと動く。ゆっくりと震えながら動く。
真っ黒な壁際を這うように。
舞台中央までその動きでやってきて
ばったりと倒れた。
舞台は暗転する。
全ての街の音が聴こえてくる。
やがて雨音が嵐のように強くなり
暗闇の中でどんどん際立っていく。
ものすごい雨音と暗闇だけになる。

最上和子は自我を殺した。

会場の窓が開き強い光が
猛烈な光が差し込む
場が起きる。


最上和子であった踊り手はゆっくりと震えながら立ち上がる。
新たな誕生とも言えるし、
再生とも言える。
彼岸に渡り此岸に戻った。
踊り手はその光の
静寂の中で舞う。
彼岸から持ち帰った
光の帽子を被りまた舞う。
場と舞が発生したのだ。
彼岸からフィシスを持ち帰り此岸で
踊る。




途中暗闇で床に倒れたままの
最上和子であった踊り手と
その暗闇と猛烈な雨音は
ぼくを壊しにかかった

ぼくは壊れそうになった。
ぼくは持っていかれそうだった。
いや或る意味部分的に持っていかれた
ぼくの一部がえぐられた。

ぼくがぼくであること。

ぼくの自我はギリギリのところで
自分を守った。
壊れることを恐れ、
彼岸に渡ることを嫌がったのだ。




踊り手は光の中から去っていき公演は終わった。
ぼくはまざまざと自分の奥底を見せつけられたが
その後の光に落ち着きを取り戻した。
講演終了後、休憩時間を挟み舞台監督である飯田将茂氏と最上和子氏のトークショーが始まる。
彼ら彼女らが踊りを中心とした共同体の再構築を目指している話が聴けた。
目指す共同体の中心には

彼岸に渡り
そこからフィシスを
此岸に持ち帰る

踊り手、太古のシャーマンのような担い手を置いた共同体。そして、往った後、還ってくれるようなしっかりとした場の構築。
身体に大地を取り戻すということ。

奇しくも9月の第一土曜日、ぼくが受講しているヌーソロジーサロンでも共同体の話だった。
ヌーソロジーの場合は踊りではなく超越論的思考で彼岸に渡りフィシスを中心とした共同体を目指したいという話だった。

踊り手を中心とする共同体はその担い手の数からするとかなり少なくなるが、ヌーソロジーの超越論的思考もそうそう世間に受け入れられるものではない(元がチャネリング情報というだけで拒絶する人も多いだろう)。

どちらも小さな渦になるだろうけど、

しかし、ただのコミュニティ、共同体、コミューンではなく、霊性を中心に据えた共同体が精神と物質の相反する流れがぶつかるところで少しずつ生まれてきてやがて大きな回転を起こしていくのではないかなと、感じた日だった。


(注、あくまでもぼくの見かた、感じたものであり観客一人ずつの感想があると思います。)


下は最上さんの稽古場に通う大西さんの感想記事🌟





↓最上さんの著作を読んだときの過去記事


ユリシーズコンセプト
飯田将茂さん
最上和子さん
プロフィールなど








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前回記事↓





会場に辿り着いたぼく。
アートの拠点となったこちらのスタジオも
取り壊されるとのことだった。

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