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子どもをどっちの目で見る?~「鳥の目」と「蟻の目」~

授業を参観・検討する視点

「先生が◎◎したから、子どもが△△になった」 

 先生が主語で語られるとき、この「子ども」とは誰をさしているのでしょう。「〇年〇組の子どもたち」ではありませんか?「Aさん」とか「Bさん」ではないですよね。先生が主語で語られるときの「子ども」というのは「大多数の子」をさすことが多い気がします。

 また、授業後の協議会で「子どもたちは~~」と語られるとき、私たちはイメージの共有ができていたのでしょうか。話す人と、聞く人は同じ子どもを見ていないかもしれません。それぞれ違う子どもたちをイメージして話をしていた可能性もあります。
 つまり、先生を主語にすると、子どもの姿がぼんやりするのです。それは鳥の視点(俯瞰)から授業を見ているといってもいいかもしれません。
(もちろん、「先生が◎◎したら、Aさんはこうなったよ」と、子どもの姿を具体的に語るのであればいいのですが、そうはなりづらかった気がします。)
 「先生が◎◎したら、こんな感じで動いた子が多かったよ(だから良いor悪い)」という、「全体への効果」について話し合ってきたのが、これまでの協議会だったのではないでしょうか。

「子どもが△△だったのは、先生が◎◎したからだ」

 一方で、ターゲットとなる子どもを決めた場合は、「子ども」とは「Aさん」のみを差します。良くも悪くも「Aさんの事実のみ」で語ることになります。
 「課題解決の場面でAさんはこう動いたのは、先生の◎◎という指示があったから…。」「Aさんは◎◎だった、先生の▲▼の準備があれば…。」と、Aさんと担任の先生との関係だけでの検討になります。Aさんへの効果しか検討できません。
 鳥の視点と比べるなら、蟻の視点です。かなり具体的な話になる代わりに、先生の指導の効果は「Aさんについてだけのもの」とかなり限定的な話になります。

どちらも一長一短なのです。

 では、どちらを選ぶべきか。(ここからは私の主観がかなり入ります。)
 これまでの協議会が「鳥の視点」であったことには意味があると思います。戦後の教育は「大多数の標準を育てよう」としてきました。教師の効率的な全体指導を「良いもの」として、「どう教師が教えたら、たくさんの子が伸びるか」ということを突き詰めてきました。そうして、日本の教育のレベルはとても高いものになりました。
 そして、今、時代に合わせて次のステップに進もうとしています。それが、より「個」を大切にした指導です。どうすれば「一人一人ちがう」子どもたちが、「自分らしく」力を伸ばすことができるのか。いわゆる「個別最適化の教育」です。
 「最大多数の子どもたちのために良い指導」を考えるのではなく、「1人1人の子に合った指導」を考える…。いや、「指導する(教える)」というよりは、自分自身で学ぶ力を身につけられるように「サポートする・よりそう・コーチングする」といった表現の方が合うかもしれません…。
 
 そのためには、鳥の目で授業を見ていてはダメなのではないでしょうか。「Aさんにとっては◎◎が効果的だった」「Bさんにとっては☆☆が効果的だった」「Cさんにとっては…」「Dさんにとっては…」と、蟻の目で1人1人の学びを見とる。その上で、教師にできることは何なのかを考えていけると、個別最適化の教育に近づいていけるのではないか…と思っています。
 
 ちょっと難しい話になってしまいました…。(^▽^;)
難しい話を抜きにしても、蟻の目で見てもらったほうが授業者にとっては嬉しいと思います。私は授業を公開して、正直、「失敗したな」と思う部分があったし、「もっとこうすればよかったな」と思う部分もありました。でも、先生方が見てくれた子どもたちの学びの姿を聞いたら、結構いい学びをしている子たちがいて嬉しくなりました。

昔、教育実習で担当の先生に言われました。

「全員変えるなんて無理。でも、1人でも授業して変わってくれたら、それでいいじゃない。」
 ネガティブになりそうな時、いつも思い出す言葉です。蟻の目で授業を見てもらうと、必ずポジティブな側面が見えてきます。少なからず工夫して、頑張った公開授業です。少ない人数でも、効果があったなら嬉しいじゃないですか。意味があったと思えるじゃないですか。みんなで、そういう姿を見つけてあげましょう。(*^-^*)

最後までお読みいただきありがとうございました。


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