しくじり先生~俺みたいになるな!~
私がしくじりに気付くまで。
今回は、私の失敗談を紹介します。
何がダメだったのか、なぜ上手くいかなかったのか、
考えながら読んでいただければ幸いです。
学校には当番・係活動というものがあります。
当番と係は、次のようなちがいがあります。
これを、しっかり区別してやる人もいれば、
あえて区別せずにやる人もいます。
やり方はそれぞれなので、正解はないと思います。
さて1校目(1~3年目)、初任者の私は係活動に取り組みます。
しかし、当然うまくいきません。
「仕事をしない子が多い…。」
そんな時、当番活動というのがあることを知りました。
私は思います。
「これなら全員にやらせられる!」
しかし、最初こそ、新しい気持ちで仕事をするものの、また段々と忘れ始めます。
そこで、チェックの工夫をします(写真)。
ひっくり返すとかわいい絵が出てきます。
「これで、楽しみながらチェックするだろう…(ニヤリ)。」
それもやっぱり最初だけ。
なかなか「仕事を続けさせることは難しい」のです。
2校目(4~6年目)、知恵がついてきた私。
帰りの会にチェックの時間を設けます。
日直の子が言います。
「今日仕事はしましたか。札を裏返していない人は裏返しましょう」。
いそいそと札を裏返す子、あせって仕事をする子…。
毎日、札は裏返るようになりました。
さて、ここまでで、かなりしくじっているのですがお気づきでしょうか…。
3校目(9年目~)です。
一緒に異動してきた先輩の先生が、
当番について考えてらっしゃったので、
「何を悩んでいるのですか?」と話を聞いてみたところ、
衝撃の言葉が返ってきます。
先輩の言葉は、私の心にズシッときたのです。
そして、自分の学級づくりを見直すきっかけとなりました。
私が、何をしくじっていたのかというと…。
しくじり①「何のために当番活動をしているのか」を理解していなかった。
1人1人に仕事を作る当番活動。
自分がやることがはっきりし、責任が明確になります。
やっていなければ、すぐ分かります。
私が当番活動を始めた理由は
「全員に仕事をさせるため」「仕事を続けさせるため」
でした。
でも、当番活動の本当の目的はそこではないのです。
当番活動の良さは、毎日1人1人に仕事があることで、
「誰もが毎日誰かの役に立てる」ことなのです。
先輩の「ありがとう」という言葉で、
子どもたちは「自分は役に立ったのだ」という実感をもてる
ことでしょう。
その実感がもてた子は、「仕事をしろ」と言われなくても、主体的に動くと思います。
なぜなら「人の役に立てる喜び」に動機づけられているからです。
しくじり②「方法が目的化」していた。
「チェックの道具」を楽しくして興味をもたせたり、
「チェックの仕方」を工夫して忘れないようにしたり、
私は「仕事をさせること」ばかりに気がいっていました。
本来、「仕事をすることで得られる自尊感情」が目的なのに、
いつしか「方法」である「仕事をしたカードを裏返すこと」が目的
になっていました。
担任がそう思っているのだから、子どももそう考えます。
このとき、子どもたちは何に動機づけられていたのでしょうか。
「チェックカードをめくるのが楽しい」
「めくらないと恥ずかしい思いをする」
「めくらないと怒られる」…。
これでは、当番活動をやる意味ないですよね。
大切なことは…。
上の写真は、先輩のを真似して実践した当番チェック表です。
帰りの会に、全員で仕事をしたかどうかをふり返ります。
チェックをしながら、仕事をしてくれた友達に感謝をします。
(「ありがと~~」って言うのです。)
こうすれば、「みんなの役にたった」ということを実感できます。
でも「これってシールをはることに動機づけられているのではないか」
と思うかも知れません。
もしかすると、そんな子もいるかもしれないですね。
だから、大事なのは担任の価値付けなのだと思います。
「またシール貼れるようにがんばろうね」と言えば、
シールを貼ることが目的で意味の無い活動になりますが、
「シールがたくさん貼ってあるね。
みんなはこれだけ誰かの役にたったんだね。」と、
「シールの数」と「役にたった数」をつなげてあげるだけで、
この活動は自尊感情につながっていくのです。
(当番活動で同じことをしていても、ベテランと若手で効果に差が出るのはこういう部分なのだろうなと思います)。
しくじりから学び、みんなに伝えたいこと。
①何のためにその活動をしているのか、
「目的」を教師は見据えているべきだということ。
②子どもが「方法」にとらわれているようであれば
「目的」を実感できるように価値付けすること。
学校の教育活動について、書きましたが
「お手伝い」とか、「子育て」にもつながるかもしれませんね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。