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人生は思ったより短い
昨日の夜、元同僚でもある友人から連絡がきた。お世話になった先輩が亡くなったという訃報だった。どんな時も笑顔で、周りをぱーっと明るく照らす太陽のような先輩に、弔いの気持ちをもって『自分』について見つめてみたい。
人生は思ったより短い
人の死はあまりにも突然に訪れる。心構え、なんて持つ隙さえない。こんな風にnoteを書いている私も、
今、今、今、この瞬間
パッとその時を迎えるかもしれない。
私のお父さんだってそうだ。私が気づいた時にはもういなかった。幼稚園の頃、突然の事故だった。何度もなんども考えた。お父さんってどんな人だったんだろう。どんな人生を生きたかったんだろう。もしいたら、と。
いなかったから、これまで寂しい人生だったのかというと、もちろんそうではない。私の人生は本当に豊かで周りの人に恵まれていると心からそう思う。本当に有り難い人生だと思う。私は、お父さんが人生を完成させた年月を超えて、今、生きている。
だからかもしれない。こんなにマインドフルネスに共感するのは。
いつかではなく、今、ここで。ありのままに。
人生は思ったより短い。
自分にも思いやりを
忙しい毎日、ドタバタと。なんだか世の中がせわしなく感じることがある。変化が早すぎてその波に飲み込まれそうになる、そして次々と増えていく責任、今まで感じたことのないプレッシャー。もしかしたらそんな風に感じている人は少なくないのかもしれない。
do
do、ばかり続けていないだろうか。意識の矢印は常に外に。目の前のことに気を取られていたら、パッと、急に人生の幕が降りるかもしれない。
時間は命だ。自分が自分の人生を生きている。
誰かが言っている悪口に気を取られ、悶々として過ごしている時間だって命をつかっている。心がハイジャックされてしまったら、それは自分の人生ではなく、誰かの人生を生きているとも言えるかもしれない。と言っている私も、そんな時もある。だからこそだ。
だからこそ、立ち止まって自分を見つめてみる。
外に向いていた意識の矢印を自分に。時に、自分につんつんしながら自分を覗いてみる。誰かが悩んでいる時にそっと隣に寄り添うように、自分にもそっと寄り添う、そんな自分への思いやりを持ちたい。
そしてそんな時はこの動画の男性のように、赤ちゃんが自分の感情だとしたら、そっと隣にいてあげよう。
自分の感情をかき消すように、誤魔化すように、たくさん食べたり、お酒を飲んだり、何かを買ったり、何かで埋めるのではなく、そっとただ今ここに、隣にいて寄り添おう。自分の感情も生きている。雪が舞うスノードームをそっと置いて見つめるように、ただそっと。
human doing から human beingへ。
自分という人間に帰ろう。
『今・ここ』を丁寧に生きよう。
嬉しい時は嬉しい自分を味わおう。
悲しい時は悲しい自分に寄り添おう。
会いたい人に会いたいと伝えよう。
大好きな人に大好きと伝えよう。
大切なことを大切に。
人生は思ったより短い。