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Utada先生に学ぶ『タイム・リミット』のある世界。だから、マインドフルに生きる。
みなさま。宇多田ヒカルさんはお好きですか?わたくし、大好きです。なにがいいって、まずうまい。上手いんですよ(←)あと、歌詞が最高。(←←)
というわけで、2018年のコンサートに行ってきました、私。こんな日が来るとは。実在してるんですね。本当夢のような時間でとんでもなく幸せなひととき。(なんと撮影OKでした
さて。
今日は私がすきなタイム・リミットを久しぶりに聞いたら、「こ、これってマインドフルネスやん!」と思ったので、印象的な歌詞の一部から感じた事を書いてみようと思う。
(マインドフルネス=『今、ここに意識を向けありのままに感じる』です)
仮に今しか言えない言葉があるとしたら
いや、一部を切り取るのが難しい。印象的な部分はこちら。
仮に今しか言えない言葉があるとしたら
それを聞かせる声が私かもよ
新しいものが大好きな私達は
飽き易いから
この気持ちも早く君が食べないと
冷めてしまう
自分にも旬がある。
その『旬』のひとつは多分、感情や感覚にあるんじゃないかと思う。私は自分の感覚や感情の旬を大切にしてるかなぁ。
歌詞にもあるように、私たちは新しいものが大好きだ。おそらくその新しいものは、自分の外にあるものだけでなく、自分自身においてもそうだと思う。
感情や感覚の波は寄せては返し、を繰り返す。そして沖にどんぶらこされた感情は、どこか遠くへ、そして全体に溶けていく。それがどんなに特別なものだったとしても、ふわぁーっと消えていくように。
自分で自分の『旬』、つまり『今・ここ』にある自分の感情や感覚を表現する事で、もう一度その感情や感覚を味わえるのなら、そして誰かにも食べてもらえるなら、このnoteも悪くないだろう。
というか、むしろ最高だ。そのときの感情を持つ自分にタイムスリップさせてくれる。やっぱりnoteはやめられない。
仮に何事にも終わりがあるとしたら
仮に何事にも終わりがあるとしたら
尚更「今」を愛せる気がするよ
新しいものが大好きな私達は
飽き易いから
そろそろ成果が現れ始めなきゃ
やめてしまう
賞味期限の過ぎた後の
夢の味は苦めですか
そうなる前に投げ出そうとはしないで
人生には必ず終わりがやってくる。
けど厄介なことに、いつやってくるかわからない。だから今を生きるのである。何歳だって、どんな時だって、今が一番フレッシュだし、おいしい。
自分なんて、と自分を否定し続けることは、今を否定することなのかもしれない。今の積み重ねが人生だとしたら、それは巡り巡って自分の人生を否定することになるかもしれない。
自分を肯定するか否定するか選べるとしたら、自分だけでも自分を肯定してあげたいなぁ、なんて思う。そして、今を投げ出さずに、今を丁寧に生きよう。と思う。
タイム・リミットのない頑張りなんて続かないよ
死にたくないなぁ。
と思うのは私だけじゃない、と思うけどどうだろう。でも、ゴールのないマラソンは走りたくない。終わりたくないのか、終わりたいのか。
このギャップってなんなんだろう。
ゴールがあるマラソンが人生で、そのマラソンを今私が走っているとしたら、どうだろう。やっぱり楽しく走りたい。ゴールテープを切った後は、『たのしかった』と言って、やりきった表情で清々しく笑っていたい。
だとしたら、私達が今できることってなんだろう。
やっぱり、マインドフルに生きることなんだなぁ。今を全力で楽しむことなんだなぁ。
過ぎた過去でもなく、まだ来ていない未来でもなく、今ここを生きよう。
宇多田先生、ありがとうございました。
タイム・リミット、聴きたくなった人へ。11曲目だよ。
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