【気づき】やめる勇気
どうも、本保です。
毎回が久しぶりの投稿です。
最近は、自分の中にとあるテーマをもって実験的に日々を過ごしています。
それは、
「悪習慣のやめ方」
です。これを実験するまで、僕はほぼ毎日コンビニに行ってコーヒーを買ったり、疲れたら日中にコンビニに寄って、アイスを買いに行ったりと、何かあればコンビニに頼ってました。
そうすると、買い物をしたついでにちらっと雑誌を読んだり、特に欲しくもないのに色々と商品を見回してみたりと、思えば無駄な時間を過ごしていました。
そこで4月の下旬あたりから、「コンビニで買い物しないチャレンジ1週間」ということを始めてみました。
まずはTwitterに宣言して、コンビニで買い物しないですよと宣言。
結果的には10日間のうち9日間はコンビニに立ち寄りもせず、買い物もしませんでした。ものすごく日々の充実感が増えた気がする。
また、今は「揚げ物断食チャレンジ10日間」とういうことで揚げ物を食べないようにしています。
これも今まではどこか飲食店にいけば唐揚げを頼んでいたり、とにかく揚げ物ばかり食べていました。揚げ物大好き人間でした。
今もチャレンジ中ですが、飲み会にいっても揚げ物は断ってますし、そんなに禁断症状も出ません。笑
何かを新しく始めるよりも、今していることをやめられるかが重要
「人は何かを始めるより、何かをやめることのほうが難しい」、とよく言われます。
例えば、一度走り出したプロジェクトも走り出したらやらないといけなかったり、事業も立ち上げたら(たとえ失敗がわかっていたとしても)止められないなど、多くの場面で見るかと思います。
我々人間というのは「習慣の生き物」で、自分の無意識的なルーティンや環境に左右されて生きているものです。
「今していること」というのは、良いことも悪いことも自分の中に染み付いていて、ストレスなくできるものです。歯磨きをしなければ気持ち悪いように習慣が僕らを作り出します。
僕はコンビニに行くことも、唐揚げを食べることもノンストレスでしたが、「やめる練習」をしてから、はじめのうちはストレスを感じました。
一方で多くの人は、よく年始に「今年の目標は〇〇をすること!」など、「新しく始めること」の目標を立てます。
しかし、日々習慣化されている自分の悪い生活などをやめるという目標を立てる人はそんなにいないのではないでしょうか?
僕はそれよりもまずは、「なにかをやめてみる」ことのほうが大事なのではないかなと思うようになりました。
やめたからこそ得られたもの
コンビニで買い物しないチャレンジ、揚げ物断食チャレンジを通しての気づきは、今まで浪費していた「時間」を取り戻せたことが一番大きかったです。
コンビニは息抜きで行ったり、揚げ物は小腹が空いたら食べたり、何か足りないものを満たしてくれている感覚だったけど、その代わりに、買い物にいく時間や、買い物でものを選ぶ時間、など細かい時間を使っていたなと。
今までしていたことの時間ができることで、気分転換に外を散歩したり、体を動かしたり、健康的な息抜きに時間を充てられることもできるようになったので、とても精神衛生上も改善された気がします。
人生はトレードオフ。何かを得たいなら、まずは何かを手放すこと
人生はトレードオフ、まさにコンビニに行く時間を費やすことで、仕事をする時間や散歩に行く時間を減らしていたと思います。
「取捨選択」という言葉がありますが、文字通り「取るものと捨てるものを選ぶ」ということで、どちらか一方だけを選択することではないということなのだなと思いました。
何かを得ようと思えば、まずは何かを手放す・諦める・捨てる、という選択が必要になります。
人は手が2つしか無いので、3つのものがほしければ、どちらかの手にあるものを先に手放すことをしなければ新しいものが手に入れられない。
道具を使えば、3つも4つも持てるかもれないけど、その道具をもつためにも手は必要になります。
やめるということには勇気が必要だと思います。どんなに小さなことでも、今までやってきたことをやらないのですから。
その「今までやってきたこと」というのは自分にとって心地よいものであったり、楽しいものであったかもしれないけれども、そういうものほど手放すことに慣れるのは、結構人生大事なことではないかなと思います。
コンビニにいかないことや、揚げ物食べないことでなんでこんなクソ真面目なnoteを書いてるのか不思議ですが。笑
次はお酒とSNSを一定やめられるようにしようと思います!
終わり
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