あざみ16
あの4月、5月の朝の息苦しさは幾分軽減した様に思える
あの朝を迎える何とも言えない不安感、不快感が軽減出来ただけでも神様に感謝しなくては…
生きていくと謂うことは、相当の労力が必要なのだと改めてそう感じる
そもそも生きていく為には、やらなくてはならないことが多すぎる
家賃、水道代、電気代…そういった類いのライフラインや…
税金…他諸々の支払い…
それを怠ると、たちまちのうちにサービスは止められて、それどころか延滞金だの違反金等が課せられるんだ
そうやって、それらを支払う為に生きているんじゃないかって、そう思うことがある
戦後、窮屈な生活の反動で皆が一斉に自由を叫ぶようになった
その自由を手に入れる為にも、結局、お金が必要って訳だ
そもそも自由ってのは、何をやってもお咎めがないって訳ではない
当然、人の道を外れる様な事を自由とは言わないし
誰かを巻き込む様な自由は自由とは呼べない
結局、自由と言うものは己の精神の解放、或いは、安定ではないかと思う
若い頃は少しの悪さをしては自由を手に入れた様な気がしていた
いや、その頃は、それこそが自由だったのかも知れない
しかし社会に出てから、自分の全ての事柄に関して責任を持たされる様になると
それは責任を持ってからまでも手に入れたいものかのか?
と、些か分別臭くなって来るのも事実だ
年老追う毎に夢は小さく萎んでくる
これから何をやりたいのか?
そう言った事すらも解らなくなってくる
昔は心踊る楽しい事をやることが夢だった
今や、心踊らされるものも少なくなった
ただただ生活に追われて、ガタの来た自分の体にむち打ちながら日々生きている
続く