一緒に年を取りたい手帳
街中にある大型文具店の二階。ガラス張りの窓のそばにある陳列棚へ足を向け、一冊の手帳を手に取っては戻す。
そんなことを繰り返していたのが昨年の秋でした。
レイメイ藤井から販売されているシステム手帳、「ロロマクラシック」。
高級ブランドのバッグより、万年筆より、一生ものとして使いたい憧れの品でした。
手帳という「道具」を持っているだけで満ち足りていた
小学生の頃から色ペンや画材、シール、ノートが好きな子どもでした。
手帳が好きになったのは中学生の頃です。
母が大手通販会社・フェリシモの商品をよく頼んでおり、私や妹も毎月ひと品だけ安価なものを買ってもらっていました。
フェリシモはひとつの商品につき、3~6回注文すると全種類揃うのがおおむねのシステムです。
ある日カタログに登場したシステム手帳に興味が湧き、半年かけて本体カバーとリフィルを買ってもらったのが始まりでした。
現在の中高生のようにノートや手帳で計画的に勉強する、カラフルにページを飾って楽しむといった発想のない時代だったため、さほど書くことはありませんでした。
それでも、カラフルなリフィルや付せんが収まったノートと異なる道具は、めくって眺めるだけで満ち足りた気持ちにさせてくれました。
高校生になると、無印良品でアルミ製のバインダーのシステム手帳を買いました。
フェリシモのビニール素材のカバーと対照的な、シルバーの頑なでひんやりした手触り。シンプルで落ち着いた色合いのリフィル。
ろくに使わないのに、隙間なく並んだ付せんのリフィルを繰り返し見ていた記憶があります。
自分だけの好きなもの・楽しいものが詰まった小さな世界。
当時は手帳という道具そのものが好きでした。
社会人になってからは一変して、綴じ手帳ばかりを使うようになりました。
10~20代女性向けに書く項目が設定された「ハッピーダイアリー(現在は販売休止)」をはじめ、モレスキン、クオバディスなど、魅力を感じる品が軒並み綴じ手帳だったためです。
5年ほど前からシステム手帳の再ブームが到来しても、高級品が多い、安価な品でもさほど好みではない、何より書くときにリングが当たるのが気がかりで、手を出しませんでした。
10代の頃より好みが細かくなり、「書く」ことに重きを置くようになったためでしょう。
ではなぜ、ロロマクラシックが欲しくなったのか。
きっかけは、ダイソーのバインダーでした。
流行りものは安価で試す
システム手帳の再ブームが引き金となり、100円ショップのダイソーやセリアでも低価格のシステム手帳が売り出されました。
可愛らしいデザインと豊富な商品展開のセリアに対し、ダイソーは普段の使い勝手を重視した合皮のカバー、ごくシンプルなリフィル。
なかでも目を引いたのが、プラスチック製の半透明カバーに黒のゴムバンドがついた、バイブル(聖書)サイズのバインダーでした。
システム手帳には透明カバーのものがあり、表紙を自由にカスタマイズできるのが魅力です。
Instagramの手帳アカウントでさりげなく表紙を飾った写真を見て、綴じ手帳ではできない使い方に惹かれたのです。
セリアのシステム手帳にも同サイズ・半透明タイプのカバーはあります。
ですが、長年ゴムバンドのついたノート・モレスキンに親しんできたためか、ダイソーのバインダーが無性に気になり始めました。
私もカスタマイズを楽しみたい。
リフィルも合わせて数百円なら、遊び感覚で試すことができる。
いつ品切れになるか分からないのも手伝い、店頭で目にしてから数日後、バインダーを購入していました。
リング径が気になる場合はリフィルを外して書けばいいと知ったため、気にしていたほど使いづらさは感じませんでした。
バインダーは現在も使っており、趣味であるゲームのことをまとめています。
リフィルの一番手前は好きなイラストレーターの方の絵を印刷し、穴を開けたものです。
流行りものを安価で試すのは、ファッション以外でもごく当たり前に行われていること。
いまさらながら実感しました。
味のある経年変化は、いい年の取り方
再びシステム手帳の楽しさを思い出すと、気になってきたのが品質でした。
気兼ねなく使えるのは利点ですが、やはり値段相応な部分はあります。
カバーが徐々に丸みを帯びてくる。素材そのものの安っぽさ。
手帳そのものへのこだわりが強いほど、気になるものです。
本格的なシステム手帳が欲しい。
となると、おのずと「本革」へと気持ちが向きます。
システム手帳は本革を使ったものが大半を占めます。
質感は商品ごとに異なり、デザインや色合いもメーカーによって千差万別です。
私が本革に求めるのは、やはり経年変化による味わいを楽しむことです。
本革のノートカバーは持っていますが、革の加工方法により経年変化が見込めないようで、10年使っても望むような味は出ません。
対し、夫が使っている本革のコインケースは年々色ムラや艶が目立つようになり、赤みがかった革の色に渋みが加わりました。
いい年の取り方をするシステム手帳が欲しい。
新品の状態が一番きれいなのではなく、年月を重ねるごとに独自の風合いが出て、手に取るたびにいとおしくなる……。
そんな未来を描けたのが、いくぶん年を取って照りを放つ、店頭見本のロロマクラシックだったのです。
代わりにいてくれるもの
ロロマクラシックはいくつか種類があり、目当ての品はざっと一万七千円。
Amazonで、リフィルのない一万二千円のタイプと何度も睨めっこしてサイトを閉じる日もしょっちゅうでした。
誕生日やクリスマスのプレゼントとしてお願いするには、我が家では上限を超える金額です。
会社員の頃なら、夏か冬のボーナスで買っていたでしょう。
職のない主婦の身では、せいぜいフリマアプリで地道にお金を貯めて買うのが精一杯。
文具店で見本を手に取り、張りのある硬質な感触を確かめるひとときだけ、ロロマクラシックは自分のものでした。
転機が訪れたのは、今年のお正月です。
コロナウイルス陽性者が落ち着いていた時期だったため、久しぶりに帰省しました。
その際祖母がまとまったお金をくれたのです。
こんなにもらっていいのか戸惑いをみせると、祖母は言いました。
「私はもうあんまり外に出て使わないから、好きなことに使いな」。
祖母はもうすぐ90歳を迎えます。
今でも畑仕事や陶芸教室に勤しんではいますが、ひ孫の顔を見せられるのもあと10年あるかないか。
小さい頃から一緒に暮らし、ときに厳しくも、いつも味方でいてくれる祖母。
いまから別れを考えるのは早いのかもしれません。ですがスーツケースの底にしまったすこし厚みのある白封筒と、祖母の気持ちを思うと、すぐに心は決まりました。
あの手帳を買おう。
近い将来、祖母と会えなくなっても、代わりにそばにいてくれるように。
一緒に年を取りたい手帳
週末、いつもの文具店を訪ね、システム手帳の陳列棚へ向かいました。
中学生の頃、初めておこづかいでファンシーショップの雑貨を買ったときのように心が躍っていました。
型番を何度も見比べながら、目当ての品が入った箱を探し当て、フロアタイルを一歩一歩踏みしめながらレジへ。
店員さんは「店舗にある最後の品ですね」と確認を取り、箱の中身や保証について丁寧に説明してくれました。
特に顔見知りでもないのに、その眼差しはなぜか、ようやく念願の手帳を買える高揚感を分かってくれているようでした。
会計を終え、エコバッグにしまい込んだ箱の重みに、マスクの奥で口元が緩んでいました。
購入後は数ヵ月間、箱に収めたまま。
時々ふたを持ち上げ、布を解き、手に取って撫でたり、カバーのつくりを繁々と観察していました。
探検家の持ち物を彷彿とさせる重厚なカバーは、どこか秘密めいたことを収めるのに向いている気がします。
何をリフィルに書いて収めるのかじっくり考え、現在は箱から取り出し、すこしずつ書き足している途中です。
これまでの自分のこと、叶えたいこと、欲しいもの……。
書きたいことは沢山ありますが、なかでも祖母からかけてもらった言葉の数々は、時間を取って残すつもりです。
手帳は机の正面に立ててあります。
ふと思い立ち開くときもあれば、手に取り撫でるだけのときもあります。
付き合いはまだ始まったばかり。
お互い、いい年の取り方をしていきたいです。