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#1967 教師がタスク管理しない

学校教育における「授業」とは、「勉強」ではなく、「学習」として捉えることが必要だ。

それは、「教師側」だけでなく、「子ども側」もである。

「勉強=やらされるもの」であり、「学習=自ら学ぶもの」である。

たしかに「子ども側」からしたら、教科書の内容も、ドリルの問題も「勉強」だろう。

だって、友達と遊んだ方が楽しいし。

家で、ゲームしていたいし。

しかし、この国には、「学習指導要領」というものが存在する。

それには「法的根拠」があり、教師も親も子どもも、それを無視することはできない。

「教師側」は教えるしかないし、「子ども側」は学ぶしかないのだ。

それ以外の選択肢は用意されていないのである。

逃げ道はないのだ。

だったら、「勉強」などいうマイナスな捉え方ではなく、「学習」という前向きな捉え方が望ましいはずである。

しかし、ほとんどの子どもは、学校の授業を「学習」などと捉えることはできない。

やっぱり子どもにとっては、授業とは、友達との遊びやゲームには勝てない「勉強」なのである。

では、どうしたらいいか?

それは、「教師側のマインドセット」の転換である。

それしか方法はないだろう。

教師がいつまでも黒板の前に立ち、子どもたちの「勉強」をタスク管理しているようでは、授業を「学習」に転換させることはできない。

子どもにとって、授業が「他人事」になるのだ。

だって、授業は「いつも教師が提供するもの」だから。

教師がいつも授業準備を頑張り、子どもたちに向けて丁寧に授業を展開する。

「教科書をここまで終わらせなくてはいけない」
「ドリルとプリントをここまで進めなくてはいけない」
とタスク管理化する。

このような構造では、子どもは学習内容を「与えられる」ことに慣れてしまうだろう。

そして、「分からないのは教師のせい」と他責思考になっていく。

これは、教師という「他者」による改善の仕組みになっているからだ。

この構造から脱却するためには、教師による授業コントロールを弱め、タスク管理をやめる必要がある。

まずは、子どもたちに「学習指導要領」の存在を分かりやすく説明する。

学校に通う以上、「学ばなければいけないことがある」ということに納得してもらわなければならない。

そして、その「学ばなければいけないこと」を教師がタスク管理するのではなく、自分で学び進めていく必要があることを説くのだ。

教科書やドリルを「自分事」にさせるのである。

よって、必要なのは、「自己改善」となる。

自分に合う「学び方」を学び、試行錯誤していく。

「分からないのは自分のせい」という思考を重視し、「学び方」を自己調整していく。

このような営みとなれば、授業を「学習」に転換させることができるだろう。

授業は「教師からやらさせる勉強」ではなく、「自らの力で仲間と共に進める学習」へと昇華する。

このように、授業が「学習」となれば、その子どもは「学ぶって楽しい」というマインドセットを手に入れる。

そして、生涯を通して、学び続ける人間になっていくだろう。

このような道を拓くことができるのは、その子どもに関わる「教師」だけである。

教師が教科書の内容をタスク管理しているうちは、子どもは「授業=勉強=つまらないもの」と認識することになる。

その構図から脱却し、教科書の内容を子どもが自分事化することができれば、「授業=学習=楽しいもの」と認識するだろう。

そのためのスタートは「教師のマインドセット」の転換なのである。

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