#1507 学級づくりの主語
私は以前、以下のような記事を書いた。
#543 学級経営のできる子どもを育てる|眼鏡先生 (note.com)
今回はこの記事に関連するものである。
「学級づくり」という言葉を使うとき、その主語はだれを想定しているか?
ほとんど「教師」ではないだろうか?
しかし、教師が主語の学級づくりで果たしてよいのだろうか?
教師が自分のつくりたいように学級をつくっていたら、子どもたちはいつまでたっても「受け身」である。
いわゆる「学級王国」になってしまい、教師のコントロール下に置かれる。
これでは、自治的集団とは程遠いものとなる。
そこで「学級づくり」の主語を「子ども」にしていくことが必要となる。
子どもたちが連携しながら、「自由の相互承認」を実現する形で、人間関係をつくっていったり、共同体をつくっていったりする。
「特別活動」における「学級活動」を生かしながら、自治的活動を実現してもらう。
必要に応じた教師の指導・支援のもと、子どもたちが主体となって「理想の学級」をつくっていくのである。
そうすれば、教師のコントロール下に置かれることはないし、教師の顔色を窺うこともないし、教師に忖度することもなくなる。
教師は必要な支援をすればよいのである。
学級の主役は「子ども」である。
その子どもたちに学級づくりの主導権を返し、主体性を発揮してもらうのである。
それを支えるために、教師が存在するのである。
はじめから教師がコントロールしようとする必要はないのである。
今後は、「子どもが主語の学級づくり」を志向していきたい。
では。