#1889 実践を縛る読書、変える読書~ハウツーは水面下の考え方が見えない~
私は初任時代、ハウツー本の教育書を読み漁っていた。
ハウツー本には、「どんな実践をすればよいか」が明確に示されている。
なので、手っ取り早く、他者の実践を追試することができる。
しかし、思ったような成果は表れなかった。
今振り返ると、それは当然の結果であると考える。
これを「氷山モデル(アイスバーグ理論)」で解明してみる。
この理論によれば、氷山の一角のように目に見える「成果」を生み出すためには、その下の層である「能力・知識・スキル」を充実させる必要がある。
この部分は、いわゆる「ハウツー」つまり「どのような実践をするか」ということである。
しかし、この目に見える層を支えているのは、水面下に隠されている「ふるまい・習慣・行動」や最下層の「意識・思い・人生哲学」である。
この水面下の要素こそが重要であり、ここが歪んでいれば、目に見える質の高い実践は実現できず、成果も上がらないのである。
これを初任時代の自分に当てはめてみる。
初任時代の「意識・思い・人生哲学」は以下のようなものであった。
・とにかく失敗したくない。
・なんとか一年目を乗り越えたい。
・はやく仕事を終わらせたい。
・手っ取り早く結果を残したい。
私の水面下の意識は、上記のようなネガティブなものだったのだ。
よって、当然のごとく、このような「質の低い意識」により、「質の低いふるまいや行動」しかとれなくなり、「実践」も拙いものとなる。
なので、「成果」も上がらなかったのである。
やはり大切なのは、水面下にある見えない「意識・思い・人生哲学」つまり「見方・考え方」なのである。
私の上司は、読書家である。
しかし、その上司は「ハウツー本は読まない」と言う。
「なぜ読まないのか」理由を尋ねてみた。
すると、「他人が考えた実践に興味はない」と言い放った。
私は最初、意味がわからなかった。
「他人が考えた実践」だって、たくさん知ることができれば、自分の実践に生かせるのではないか?
そう思ったからである。
しかし、今なら「他人が考えた実践に興味はない」と言う上司の考え方に納得できる。
それは、言い換えれば「実践やハウツーからは、その人の考え方は見えない」からなのである。
つまり、「実践やハウツー」という氷山の見えている部分を学んでも、水面下にある「その人間がもつ意識や考え方」は見えないのである。
重要な「水面下の考え方」なくして、見えている「ハウツー」だけを追試しても、「成果」は上がらないのである。
このことを、私の上司は看破していたのだ。
なので、上司は「ハウツー本」ではなく、「人生哲学書」「自伝書」などを読んでいるのだ。
やはり、大切なのは「その人の意識・思い・人生哲学・見方・考え方」なのである。
他者の「水面下」の要素を学び、自分の「水面下」の要素を変えていく。
そうやって、自分の「水面下」の要素を変えることができれば、自分から発動される「実践」の質が変わってくる。
そして、「成果」も上がっていくのである。
ここで、これまで整理してきた「氷山モデル(アイスバーグ理論)」を「読書」という営みとかけ合わせて考えていきたい。
「ハウツー」は手っ取り早く実践を追試することができる。
他者の実践はキラキラして見えるので、私もついついハウツー本を購入して読んでしまう。
そんな私は、これまで読書に関する記事をたくさん書いてきた。
このように、ハウツー本の購入について、かなり悩んでいるのだ。(笑)
それだけハウツー本は輝いて見えるし、中毒性もあるのだろう。
しかし、ハウツー本には限界がある。
上記で整理してきたように、その人の「実践・ハウツー」だけでは、水面下にある「考え方」は把握できないのである。
ハウツー本を読むと、本の中で紹介されている「実践」を真似したくなる。
その実践は、文脈に強く依存している。
そのため、同じような文脈でしか、その実践を真似することはできない。
「自由進度学習」のハウツー本であれば、自分も自由進度学習を授業で行っている、またはこれから取り入れることになる。
このように、ハウツー本は「その人の実践を縛ってしまう」のである。
逆に言えば、その実践「だけ」を追試したいときに、ハウツー本はかなり強力な味方となるだろう。
しかし、教師という仕事は多岐に渡る。
ハウツー本だけを学んでも、教師がもつ幅広い実践に良い意味で波及することはないのだ。
ハウツー本で紹介される実践というのは、その実践者がこれまで重ねてきた努力や環境などの「背景」に支えられている。
しかし、多くのハウツー本には、この「背景」の部分が隠されてる。
確かに実践者は、水面下に何らかの「考え方」をもっている。
それは、これまでの教師経験により形成されたものであろう。
しかし、そのような「背景」に支えられている「考え方」を知らずに、目に見える「実践・ハウツー」だけを学んでも意味はないのだ。
よって、ここから言えることは、「考え方を学べる本を選ぶ」ということである。※「理論書」でもよい。
本を書いた人が水面下にもつ「意識・思い・人生哲学・見方・考え方」がうまく言語化された本を読む。
このように、「水面下」にある要素を他者から学ぶことができれば、自分の「意識・思い・人生哲学・見方・考え方」を変えていくことができる。
そうして、自分の「考え方」を変えることができれば、自分から発動される「実践」の質も変容し、「成果」が上がっていくのである。
ハウツー本だけにすがるのではなく、「考え方を学べる本」を積極的に読む必要があるのではないだろうか。