今日の仏教語 その1
みなさま、はじめまして。
創作系寺嫁のゆかと申します。
はじめての「今日の仏教語」のコーナーの記事を書くにあたり、どんな仏教語が良いか悩みましたが、やはり、これに決まりました。
「挨拶」
えっ? と思われた方も多いのではないでしょうか?
そうなんです、実はこれ、仏教語なんです。
まずそもそも、この漢字、書けますか?
「挨」も「拶」も、他の使用例がちょっと思いつきませんよね。
私も漢字辞典を引いてみましたが、手元にある辞書には載っていませんでした。
まさに「挨拶」でしか使わない珍しい漢字だと言えます。ちなみに、わたしはうろ覚えでへんな漢字を作り出しました(笑)
さて、ここからちょっとだけムズカシイお話を。
ムズカシイとは言っても、分かりやすく書いておりますので、「ふんふん、へーえ」くらいに読んでいただいて、明日はうろ覚え、明後日はもう忘れてる、くらいで構いませんよ(*^^*)
今日聞いた話を、忘れてしまったのなら、それは今のあなたにとって不要な話だったからです。
覚えていたのなら、それは今のあなたが求めていた話だったということです。
法話というのは、何度も何度も同じ話を聞くものでもあるそうです。
その中で、自然に、すうっと心に残る時があって、そういうときが法話とあなたとの一期一会の瞬間なのです。ご縁があったということですね。
なので、この記事も、忘れたわ~と思っていただいて、いつかまた気が向いて、なんどか読み返していただいた時に、あなたの心を軽くするお手伝いができればと思います。
さて、話をもとに戻しまして。
「挨」も「拶」も、意味は「押すこと」だそうです。
厳密にいうと、
「挨」は、①うつ。背をうつ ②おす。押し進める。押しのけて進む。 ③せまる。互いに近づく。接近する。
「拶」は①せまる ②指枷(指を責める刑具)をする ③せめる
と辞書には載っているので、とんでもなく物騒な漢字のようですね。
どちらも古代中国の刑罰で使われたらしい言葉が入っていますし……。
熟語としても、「挨拶」でしか使われていない模様です。
さらには、ひとことで仏教語と言っても、「禅宗で、問答によって、門下の僧の悟りの深浅を試すこと」とありますので、禅宗から派生した言葉なんですね。
全ての仏教で使われている言葉ではなさそうです。
なるほど、ここまで使い方が限られた言葉だったのか……! と、こんなにも安易に使ってきたのが申し訳ないような気になりました。
いや、大事ですよ、挨拶。できるのが当たり前の世の中になってほしいと思いますね、大人も子どもも。
「挨拶」の意味なんか知らなくても、挨拶ができるということは、本当に素晴らしいことなのです。
さてはて、禅宗と聞けば、皆様ご存じのあのやりとり。
「そもさん!!」
「せっぱ!!」
ですね。
「そもさん」というのは、漢字で「作麼生」と書きまして、中国語で「さあ、どうだ?」という問いかけの言葉だそうです。
「せっぱ」というのは、「説破」と書きます。「今から問いかけに応えます」という応答の声かけの言葉にあたります。
つまり、小学生風に言えば、「分かる人―?」「はーい!」というやりとりです。
この、「そもさん」「せっぱ」のように、こう言われればこう返す、という決まり文句の意味合いとして、「挨拶」という禅宗の言葉が、一般に定着していった、ということのようですね。
たしかに、「おはよう」と言われれば、基本的に「おはよう」と返すものですから、声を掛け合う決まり文句のことを「挨拶」というようになる、というのは、なるほど、と思わなくもありません。
それにしても、一部の界隈で使われているはずの言葉から派生して、全国に伝わり、こうして現代語として残るなんて、言葉と言うのは不思議なものですね。
「おはよう」という言葉も、元は遊女たちが使っていた「今日はお早いお目覚めですね」という決まり文句が定着してできた言葉だという説が一番有力ですが、さてはていつごろどうやって、どんな人たちから伝わっていってそうなったのか、考えだしたら止まらなくなる私です……(笑)
小難しい話ですので、ここまでにいたしましょう。
「へえ、ほお、ふーん?」と思っていただけましたでしょうか?
明日はうろ覚え、明後日には忘れていただいて結構ですので、思う存分「へえ、ほお、ふーん?」と思っておいてくださいませ。
このコーナーでは、身近にあるけど仏教に関する言葉だとは思ってなかった!というような言葉を紹介していきたいと思います。私は無宗教で神も仏もし~らない!だなんて思っていても、こんなに自分の中に馴染んでいるんですよね。なんでも受け入れてしまう日本ならではなのだと思います。
知っていたよ、知らなかったよ、へえ~そうなんだ!などなど、感想いただければ嬉しいです!
皆様と良いご縁がいただけますように!