テラジア アーティストインタビュー vol.3 稲継美保(俳優)
ミニマムな座組の中から生まれた『テラ』
もともとは創作ダンスをやっていたという稲継。ダンス作品を作れる人になりたいと、東京芸術大学の音楽環境創造科に入学し、そこで坂田ゆかりと出会う。
「よくあることだとは思いますが、大学に入って自分の方向性に迷子になった時期があって。そういう時に先輩だった坂田さんに、一人芝居に出演しないかと声をかけられたのが縁の始まりです。それまで演劇の経験はなかったんですが、妙に、やってみようかなと思い引き受けました。そこから坂田さんの卒業まで二人で、何本か一人芝居の作品をつくりました。」
「当時、ダンスと演劇がジャンル的にも接近していた時期で、『演劇における身体性』『ダンスにおける演劇性』といった言葉も頻出していました。そういう状況の中で、ダンス/演劇と区切るよりかは、自分が純粋に面白いと思う人の作品に出てみたいという気持ちが芽生えて。大学院進学後はオーディションを受けるようになります。そこから、興味がある作家と一緒に組んでやるという活動のベースが出来ました。」
そこからフリーランスでの俳優のキャリアを積み重ねてきた。坂田と稲継は卒業後、それぞれ仕事や活動を行うようになる。数度、小作品の創作で協働することもあったが、再び密に組んで創作をするのは、坂田が「フェスティバル/トーキョー2018」に参加することになった時だった。
「坂田さんが声をかけてくれました。作品で何がしたいかは、漠然と雑談のようなことから始めて。私は当時、出演者が多い作品に関わることが多々あったんですが、一方で、自分の俳優活動の核には一人芝居というものがあるのではないかという気持ちもあって。そこで、『やるなら自分の代表作になるような一人芝居をつくりたい』と坂田さんに言ったのを覚えています。」
そうやって始まった2018年の『テラ』は、東京の西方寺にて上演された。作品は、三好十郎『水仙と木魚 ―一少女の歌える―』を参照しつつ、稲継が京極光子という「役」として登場し観客に語りかける。その傍らで、音楽の田中教順は「本人」として観客に語りかけるという構造だ。
「私と坂田さん、田中教順くん、渡辺真帆さんというミニマムな座組で、かつそれぞれの役割もはっきりしていたのが、私にとってはつくりやすかったです。
そもそも自分の中の課題として、『仏教、あるいは宗教をどう語るか』ということがありました。お寺という場で、何の立場でお客さんに対して仏教を語ればいいのか、と。個人的な理由もあって、私自身は宗教に対しては少し距離を置きたいという立場でして。なので、演技とはいえ、『仏教っていいでしょう?』という立場ではどうしても語れない。仏教を語ること自体にも、当時はすごく抵抗感がありました。調べて理解したらやっていいことなのだろうか、と悩んで。」
そういう中でのキーマンは、寺の息子として生まれ育ち、かつ寺を継がずに音楽の道に進んだ田中教順だったという。田中はパーカッショニストとして活動しているが、稲継の大学の先輩、坂田の同期という関係性だ。
「恥ずかしながら、本当に最初は宗派の違いとかも分からなかったので、教順さんに聞いたんですね。するとめちゃくちゃ丁寧に教えてくれる上に、説明する時に使うメタファーにもユーモアがあってすごく面白くて。教順さんのような距離感や立場から仏教を語るのなら、お客さんも同じような反応をして、面白がって聞いてくれるのではないかと考えるようになりました。
京極光子という病弱な寺の娘が、『ここ(寺)に住んでるの』と言う、そのフィクション自体も『テラ』の作品の舞台にとっては良いと考えました。三好十郎の戯曲を参照しつつ、仏教が持っている生死観を4人で真剣に考えていく。そういう作業の中で、作品の構造が自然にできていったと思います。」
他にも、坂田や渡辺を中心に、地域のリサーチやお寺の住職へのヒアリングなども行った。現代の寺が持つ課題や現代の寺の状況も踏まえる。そういった過程を踏み、作品自体にも寺の持つ要素が反映されていった。
「住職に続いてみんながお経を読むとか、説法に対して質問をするといった、お寺で行われるインタラクティブな行為は参照したいと皆で話していました。『テラ』では作品の中で、お客さんに木魚を渡して叩いてもらいます。お客さんに質問したり、セッションをしたり、そういう仕掛けを置くことによって、私一人で抱えていた『語ることの難しさ』からは作品が離れていけたように思います。
日本人にとって仏教は、意識せずとも日常の中に身近にあるものですよね。だから、もちろん信仰している宗教や宗派が違う人もいると思いますが、『せっかく集まったからここで考えられることを考えましょうよ』というスタンスをもって、作品のフォーカスを合わせていきました。京極光子のセリフにもそういう言葉が出てきます。」
そしてもう一つ、テラの作品において重要な比重を占めるのは詩のパートだ。坂田と稲継のこれまでの創作でも詩的なテキストを扱うことが多かったというが、テラでは少しジャンプがあったと語る。
「詩って本来は、書籍になって、読み手自身が目や頭で読んだり、声に出して読んだりして、詩が直接出会うのがベストなメディアだと思うんです。なので、あえて俳優の身体を通して人に聞かせるという行為については、実は葛藤や悩みもあります。でも『テラ』は教順さんとのセッションだったこともあって、非常に音楽や演奏に近い状態で使うことができました。
詩なので、意味や解釈は私のものでしかない。私の解釈を分かってもらおうとするよりも、私の身体や状態を通して、書かれている詩の言語が空間や時間にどう響くかといったことを『テラ』では探っていました。抽象的ですが、『今、すごいいい響き方してるな』みたいなことを純粋に目指せて。それは詩と音楽が一緒に、同じ強さで存在していたから良かったのかなと思いますね。」
東京から京都へ。コロナ禍の『テラ』の旅
東京で生まれた『テラ』は、3年後に同じメンバーで京都公演を行うことになる。新型コロナウイルスの世界的な流行を挟み、「テラジア|隔離の時代を旅する演劇」が立ち上がった後、2021年3月のことだ。
「もともと『テラ』は、短期間で数多くのツアーをやるよりも、自分たちの年齢や状況が変わっていった時にもできる形態を目指していました。5年、10年経ってもできるもの。瀬戸内寂聴さんの説法みたいな(笑)。同世代で集まったのも、そういう意図もあったかもしれません。とはいえ、『次は何年後』と約束をしていたわけでもなく。坂田さんと真帆さんを中心に、京都のお寺に繋がっていった感じです。
私としては、タイのバージョンの『テラ・テラ』を見たことがモチベーションとしてすごく大きかった。本当に素晴らしかったです。ただタイ語に翻訳するのではなく、『テラ』のビデオを見てコンセプトを引き継いで、完全にタイのバージョンとして創作され、もう一つの『テラ・テラ』が生まれた。あと主演のソノコさんが本当に素晴らしくて。映像を見た時に、もう1回、今の自分もやりたいと思ったんです。」
『テラ・テラ』ティザー映像
そうして、京都の興聖寺に合わせてリクリエーションされた『テラ 京都編』は、東京の『テラ』の構造を引き継ぎつつも、大きくアップデートされていたのが特徴的だ。
「内容の変化で一番大きいのは、何よりもお寺が変わった、宗派が違った、ということです。勉強不足だったんですが、同じ仏教といえども宗派によってこんなにも違うんだと驚きました。京都で上演させてもらったお寺は臨済宗(禅宗)で、単純に初演の内容が通用しなくなってしまった。それは、仏教一つとっても沢山の語り口があるという面白さに繋がってもいるんですが。
初演は浄土宗のお寺だったので作品の中でも極楽にいく話を結構するんですが、京都編は禅宗でお堂にお地蔵さんを祀っている。調べていくと実はお地蔵さんは地獄に落ちた人を救済しに来てくれる菩薩だということが分かりました。」
そこから京都編を愛称で「地獄編」と呼ぶようになったという(東京のテラは「極楽編」)。「地獄編」への進化は、宗派の違いからだけでなく、コロナ禍を経験したことによる、人々のリアリティの変化も影響している。
「コロナ禍で経験したあらゆることが、地獄のようだったという感覚もあると思います。自分たちが今、地獄みたいな所にいるとしたら、そこからどう救済されていくのか。そういう方に自分たちがリアリティを持っていた。だから、語る内容をほぼ新しく変えないと京都編がつくれなかったんです。」
テラ→テラジア。
生死観と宗教を扱う創作をめぐって
4人のチームで、日本での『テラ』を2つ生みだした。その創作を経て、稲継自身にとっては、個人的な宗教への態度や距離感に変化の兆しはあったのだろうか。
「個人的な感覚として、宗教側に何か〈答え〉があって、それを無防備に……無条件に信仰することへの恐怖感みたいなものがあったんです。もっと言うと、それが他の宗派や他の信仰を持つ人への攻撃に繋がったり、いろんな戦争が宗教をベースに起きているとか。そういうことに対する恐怖感が、人より強かった気がします。怖さがあった。
でも『テラ』を経験するにつれ、仏教に対しては、もう少し哲学に近いような面白さがあると感じるようになりました。〈答え〉ではなくて、みんながずっと問い続けているもの。
タイの『テラ・テラ』を見た時に、生きる/死ぬことと何かを信仰することの、自然な近さを感じたんですね。自然に生と死、そして仏教を扱っていた。それを見て、宗教が生きる上での技術の一つというか、そういうものにもなるんだ、と思いました。自分の中の硬直していた部分がほぐれていくような感じはありましたね。」
『テラ』が「テラジア」というプロジェクトに昇華し、他国のアーティストが新たな『テラ』をつくり、それを見てまた作品をつくる。そういった過程の中で、仏教や宗教への見方が少しずつ変化していく。テラジアは特殊な循環機能を持っているようにも見える。
「自分が演じた役が、全然違うものになって他国の俳優さんに演じられるということが、とにかく面白かった。私がやった京極光子という役がビデオで伝わって、他の国のアーティストや俳優にも何か刺激になっていたら良いなと思います。」
そしてテラジアは、「スアテラジア」という終着点を目指しつつも、各国のアーティストがそれぞれに作品をつくって発表している。舞台作品だけでなく、映像、インスタレーションなど。互いに影響し合っているようで、各自が違う動きをしているテラジアを、日本チームの稲継はどう見ているのだろう。テラという言葉は何を指し示してるのか。
「もともと『テラ』のタイトルをつけた際には、terra(地球)とか、テラバイトとか、寺よりももう少し大きい意味を持たせたんだと思います。でも、テラとは何かと問われると、私にとってはやっぱりお寺なんですよね。お寺と出会っていくとか、自分自身が硬直していた宗教という存在に出会っていくことなんです。
一方で、コロナ禍において、政治的なことも含めて本当に目まぐるしく変化する状況の中で、アジアのそれぞれの土地に生きている人たちが、どういうリアリティー、どういう切迫感をもって生きているかということが、テラジアによって可視化されていくという感触もあります。
一つの戯曲をリレーするのではなく、テラというコンセプトや態度が共有されて、それが見えてくる。そして必ずしも、それぞれが分かりやすい関連性を持ってなくてもいいという点は、このプロジェクトの新しい部分だと思います。コンセプトや概念や哲学だけが移動していくのも、それでコミュニケーションが取れちゃってるのも面白い。」
テラジアのコンセプトに共鳴したアーティストもそれぞれに反応点が違うだろうと稲継は推測していた。生死観を扱うこと、仏教、より大きなテーマ。あるいは同世代の人と繋がる一つの方法。テラジアというコンセプトとネットワークは、さまざまな創作の原動力を内包しているのではないかと指摘する。同時に、稲継が希望する『テラ』の行先きは、東京の初演時から「ブレていない」という。
「2018年、2021年の肉体と声をもって演じた京極光子と、この先の歳をとった時にやれる京極光子は全然違うと思います。でも、何歳になっても京極光子という女がやってきて、詩を語りながら世間話をする。お寺という場所で、生きることと死ぬことをそこにいる人と問う。『テラ』はそういう、節目節目に上演できるものであってほしいです。
ただ、宗派を制覇したいとかはないです(笑)。でもお寺のいいところは、劇場よりも圧倒的に数が多くて、全国どこにでもあるところですよね。日本人の仏教への関わり方や宗教観も時代によって変わっていくでしょうし。そういう移り変わりの中で、テラという作品と出会うことで、私たちの考え方が少し変わったり、自由になったりしたらいいなと思います。」
プロフィール
筆者プロフィール
本インタビューはJSPS科研費JP 22K13002の助成を受けて行われました。