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自己肯定なんて、大袈裟なこと

「自己肯定感」という考え方は大事だなと思うけど、「肯定」という言葉には少し違和感がある。

「肯定」の反対は「否定」になってしまうから、そのどっちかに寄らないといけない感じにちょっとプレッシャーを感じるのかな。

わたし自身、いわゆる自己肯定感は比較的高い方なんじゃないかと思う。もちろん自分の嫌いな部分も、情けない部分もたくさん知っているけど、ざっくりと「わたしはわたしでいることがそれなりに気に入っている」と感じることができているので、少なくとも低くはないよね、と思う。

でも、これまでの人生で常に高かったわけではない。朝起きて学校に行くとか、勉強するとか、そもそも生きていることとか、なんか全部嫌になった思春期もあったし、学生時代に付き合った人と性格が合わなすぎて、それまで気に入ってた自分を全否定された気持ちになって絶望したこともある。

自分は自分なりに良い感じに生きてきたのに、「自分が自分のまま側にいると大好きな人を無意識に傷つけてしまう」という残酷すぎる現実を自覚した時、わたしは本気でどうやって生きていけば良いかわからなくなった。

大好きな人を傷つけないために、今までの自分を改めて、考え方も言動も、全部修正しないといけないの?今まで一緒に生きてきたわたし自身と訣別しないといけないの?それって、もはやわたしなの?

自分と相手とどっちを大切に思うかなのかな、と当時のわたしは必死で考えていて、だけど相手を傷付けてしまうとわたしが悲しいから、結局は相手のために自分が変わることが幸せなんだろうな…と、これまでの20数年間で築き上げられた「自己」を、どうやってやり直そうかと途方に暮れていた。

自分を否定することは、今まで自分が育ってきた家庭環境や、両親、家族、友達、自己を形成する上で影響を受けたすべてのものを否定されるような気持ちになった。恋人のために自分が変わったら、今までのわたしを大切にしてくれた周りの人は、逆にわたしを嫌いになるのかな?そんなもやもやを抱えながら、葛藤する日々だった。

その時のわたしは「自己肯定」なんて程遠く、「自己否定」の苦しみに潰されそうになっていた。なんでわたしはわたしなんだろう、なんでこんなにダメなんだろう。大好きな人と一緒にいるはずなのに、一緒にいればいるほど自分のことを価値がない人間に思えて、どんどん自分を嫌いになった。

自分で自分を嫌いになること。自分でいることが嫌になること。

もちろん嫌いな自分を大切にすることなんてできなくて、突然嫌われてしまった自己が、心の中で小さく静かに泣いていた。

結局自己否定の沼でぐずぐずしているうちに、あっさりその恋人とは別れてしまった。悲しくてつらくて泣いてばっかりいたけど、ふと「もうこれ以上自分を嫌いにならなくて済むんだな」と安心した自分もいた。

それからのわたしは、一度は全否定して訣別まで考えた自分との、関係修復、仲直りにたっぷり時間とお金をかける日々を過ごした。

自分を変えないと一緒にいられない人といるより、自分が好きな自分でいて、そんな自分を素敵だなって思ってくれる人と一緒にいられるのが1番だよね。という祈りを込めて。

自分のこと、肯定なんて大袈裟なことはできなくてもいいけど、自分が自分のまま、自分と仲良くできていられるといいな。これまで人生を共に過ごしてきた、一番近くにいる自分という存在を、自分が一番「そのままでいいよ」って言ってあげたい。

生まれた時から一緒で、一番最期の瞬間までずっと側にいられるのはわたしだけなのだから。

嫌いにならないように、嫌われないように、もっと好きでいられるように。これからまだまだ続く長い人生を、仲良く一緒に歩んで行けますように。



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