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なにかができるはずだから ②

昨日「なにかができるはずだから」という文章を書いた。

もちろん、私たちは、読み書きが苦手な生徒たちに彼ら自身ができる対処を伝える。今は、それが唯一の解決策でもある。

定規や鉛筆、消しゴム、筆箱などテスト中、机の上に出していてもよいものや使ってよいもので、文章の行を追ったり、気になるものを隠しておく、終わった問題にしるしをつけていく、字は少々乱れていてもいいから、単語と単語の間を必ずあけて、相手が読みやすいようにするなど、自分でできることを考えるように伝える。

これは、どんな生徒に対しても同じこと。

テスト勉強も、日ごろの勉強も、自分の長所、短所、弱点、強み、得手不得手などを知るためでもあるのだから。

私は、定期テスト一週間前には、そこから授業が進むところ以外の勉強は、ほぼ済ます学生だった。だから、テストの寸前に夜遅くまで勉強するということがなかった。

それは、真面目で慎重だったというわけではなく、自分が睡眠不足で学校に通えるほど体が丈夫ではないこと、寸前になるとやる気を失うということをよく知っていて、それでも、できることはしたいという負けず嫌いだったからだ。

ただ、それだけのことだった。

少し前に書いたけれど、「単語を覚える方法」でも、その人の得手不得手がある。先日、単語がなかなか覚えられない息子さんのことで

「もっと書くしかないですよね」と同意を求められて、一瞬ひるんだけれど、「いや、それは・・・」と説明をした。

「多様性」を大切にするために、様々な取り組みが行われているけれど、私たちは、やはり、自分たちの基準でまず考えるし、動いてしまう。それは、仕方のないことだと思う。

でも、違いを理解しようという気持ち、そして、理解してもらおうとする心は大切で、相手にそれを求めるなら、先に自分がそういう気持ちや心を持つことが大切なことだ。

子どもたちには、すぐにはわかってもらえなくても、伝え続けたいと思っている。

わかってもらえなくて当たり前。だけど、わかってほしいなら、まずは自分が少しだけ動いてみるー言葉を発する、それが少しずつ物事を動かす、と、少なくとも子どもたちが信じてくれる環境を寺子屋でも作りながら、機会があれば、社会にも声を大にして求めていきたいと思っている。

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Terakoya Kamei
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