幸せは選択肢の多さに比例しない
先日、夕方のニュースで、高速道路の、あるサービスエリアの紹介をしていた。一般道からも入ることができて、食事処、商品、キッズエリアが充実していて賑わっていると紹介されていた。
私は、そのときの小さなお子さんのいるお母さんへのインタビューが気になった。
「子どもが男の子と女の子で、したいことが全く違うので、ここなら二人別々のことで遊べるからありがたい」
というような答えだった。
現代的だなぁ
と、思ったり、
こういうことが影響しているのかもしれない
と、思ったり・・・。
「こういうこと」とは何か
私は、5人兄妹の一番下だ。
自分がしたいことと家族がしたいことが同じであることは、ほとんどなかった。夏休みと冬休みに出かけた家族旅行では、長兄の意見が反映されることはあっても、私たちの意見が反映されることはほぼなかった。
父が「夏は海」、「冬は雪」を子どもたちに見せると勝手に決めていた。
いろんな場所に連れて行ってもらって、今でも覚えていることがたくさんある。
そして、多分、その経験は私の好奇心の土台である、
とりあえず
してみる
見てみる
聞いてみる
読んでみる
書いてみる
という姿勢を培う機会の1つだったと思う。
自分がしたいことじゃないけれど
自分が望んだことではないけれど
他の人に合わせて
言われたから
してみる
与えられたチャンスを利用してみる
という姿勢が、好奇心や知識欲、向上心の根元を耕すー
子どもに合わせることも大切だけれど、合わせすぎることが、子どもたちの関心、興味、好奇心を削ぐ結果になるのではないか
ニュースを見ながら、そんなことを考えた。
「無理」「無駄」と、する前に立ち止まる子どもたち
立ち止まるだけではなく、最近、不機嫌になってしまう子どもも増えている気がする。
したくないこと
めんどうくさいこと
人生、そんなことばかりだよ
したくないこと、めんどうくさいことをしなくて良いとすれば、あなたたちのお母さん、お父さんだって、あなたのご飯作ったり、お仕事に行ったりしたくないと言ったらしなくてよいのか?
と、今年の夏、小学生に何度も聞いた。
毎日子どもたちと接して、彼らを取り巻く環境を見ているからか、今は、いろんなサービスが選べるけれど、それが選べることがいつも幸せにつながるわけではないのかもしれないと、ふとしたことから思うことがある。