続 やっぱり、何かが、おかしい ②
夏休みが終わるころ、「やっぱり、何かが、おかしい」という題名で記事を書いた。
そして、やっぱり納得できなくて、今年の夏は、少し多めにいろんなところでその話をしてみた。そして、ローカル紙から取材があった。
その後、「続 やっぱり、何かが、おかしい」という記事を書いた。
ローカル紙に記事が載った時や、その後の投稿での夏休み明けテストに賛成派の意見に、「続 やっぱり、何かが、おかしい ②」を書くことにした。
私たちが問題にしているのは、長期休み後の子どもたちの心身のリズムが整う前に行われることに加えて、今年は、学校再開後、全く、もしくは、ほとんど授業なしに行われた期末試験の在り方だ。またそれは、特に夏休み明けに学校に行きにくい子どもたちにプレッシャーを与えているのではないかということだった。そして、それが、教育委員会の話では、前期終了までに、追試や成績つけのための時間を考えると「仕方のない」ことだというのなら、試験を夏休み前にすることも、3学期制に戻すことも視野に入れるべきではないのか、という話だった。
問題は決して、夏休み明けのテストに賛成か、反対かではない。
けれど、賛成派の意見は、「夏休み中にテスト勉強が計画的にできて良い」「その後のクラブの大会や学校行事にすっきりと臨める。」などというものだった。
問題を矮小化されてしまった。
長い夏休みの間、自分で学習してきたことをフィードバックする機会を与えないまま試験ができる先生方は、自分たちの仕事を蔑ろにしているし、子どもたちがそのまま試験を受けることを疑問に思わない大人は、きっとあまりきちんと考えずに勉強してきた人たちだと私は思う。
それは、学校の存在意義を問うべき状態だというのに。
そして、現に、それが子どもたちの学校の授業を軽んじる姿勢に表れている。授業中寝ることに躊躇がなく、受験生が学校を休んで、家、または塾で受験勉強をするのを当たり前かのように語る彼らの姿勢に表れている。
自分自身、塾を運営していて何を言ってんの?
と、言われるかもしれないけれど、寺子屋の目標は子どもたちが学校でできないことを助け、学校の学習を補うこと、そして、高校生になってまで子どもたちを塾漬けにしないことだ。
私たちは、学校でできること、いや、学校ですべきことはきちんと学校でしてほしいだけなのだ。