忘れられない旅 ③
ロスでの心休まらない数日の間に帰国便のチケットを手配して、帰路に就いた。
とりあえず、東京に戻った。
しばらくして、親友に渋谷でお寿司をごちそうになった。旅行短縮のお詫びと、少し遅れた誕生日のお祝いだった。
そして、行けなかったNBAの試合のチケットの請求書が送られてきて、私の予定より大幅に短くなった卒業旅行は終わった。
その後、ニュースで私たちがワシントンDCにいる予定だった期間に、ホワイトハウス前で銃乱射事件があったことを知り、旅行を続けなくてよかったと改めて思った。
一方、本当は遠くで過ごす予定だった年末年始を、松阪で過ごすことになり帰省したところ、父がうれしそうに聞いてきた。
ー大学院は行くのか?
と。 私が笑顔で
「もちろん、その予定に変更はないよ。」
と、伝えると父は呆れ、また、残念そうだった。
私は、父にアメリカの大学院への進学の希望を伝えていた。その準備を夏から始めていた。
父は、この旅行で感じた恐怖で、私が、その計画を中止するのではないかと期待していたという。
でも、この旅行で私が気付いたことと言えばー
私は思っていた以上にアメリカが好きであること。
だから、この旅行で感じた恐怖や憤りは、私がそれまでに出会ったアメリカの人々の親切や愛情を打ち消すものではなかったこと
だった。
私は、思った以上にアメリカに魅了されていたことを改めて確認した。
そして それまでの幸運に改めて感謝した。
けれど、私はその後、友人の結婚式でサンディエゴを訪れた以外、トランジットのために空港を利用する場合を除いて、カリフォルニア州に足を踏み入れていない。
また、ブラジルにもたどりつけずにいる。
先日、この「忘れられない旅」の話を書き始めたことを親友に伝えたら、いつか「同窓旅行」としてほかの友人たちも誘ってブラジルやポルトガルに行けたらいいね、という話になった。
私たちは、大学でポルトガル語を専攻していた。
この秋、幼馴染のご主人が「ブラジル」に赴任するため、彼女もいっしょにブラジルに行く。
「部屋を用意するから遊びに来い」と、声をかけてもらっている。
30年ぶりのロス
30年越しのブラジル旅行ー
30年遅れのアイルトン・セナの墓参
決行の土台が整い始めているのだろうか。