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昔よくいたおじさんの話
ナベツネさんが亡くなったというニュース
小林繁さんの大ファンだった私は、巨人が嫌い、読売新聞が嫌い、ナベツネさんが嫌いだった。 笑 でも
大嫌いなおじさんだったけれど、ちょっと寂しいと思って聞いた。
そして、先日この記事を読んで、理由がわかった気がした。
おじさんたちは、はっきり言って「人権感覚」は薄かった。例えば在日の方に対する差別感情などは露骨だったと記憶している。
だが、自分も戦争中、海外でつらい経験をしていたからか、「差別される」という相手の立場も理解していたのではないか。あまり汚い言葉をストレートに発したりはしなかったように思うのだ。
かみぽこぽこさんの記事より
本当にそうだなと思った。
私の父は昭和4年生まれで、生きていれば今年96歳で、ナベツネさんより少し年下なので、実際に行った戦争の体験はなかったし、大学で中国語を専攻し、どらちかというと左寄りのリベラルな思想の持主であったけれど、この記事にあるように、私たちの感覚で行くと「人権感覚」は薄く、差別感情は心に強く持っている人だった。
でも、それを律して、相互理解を、
と、努力できる人だった。
私が、アメリカで韓国人に恋に落ちたことを知ったとき、その恋はすでに終わっていたにもかかわらず、1週間、口をきいてくれなかった。
そして、1週間後、彼の口から出てきた言葉は
「僕は、民族的に卑屈な国と男尊女卑の国に娘を嫁にやる気はない。」
というものだった。
娘がアメリカに2度も留学することを許し、母が会いに出かけていくことに反対もしなかったけれど、絶対に自身はアメリカに行こうとしなかった父の、それまで口にしなかった心の葛藤に触れた気がした。
そんなことを言っても私は、父をずっと心から尊敬している。
そして、今、世の中の議論を聞きながら、思うことが同じかみぽこぽこさんの他の記事に書いてあったことに共感した。
まず題名が素敵だ。
そして、読み進めていくと
議論とは、ロジックを競うものであって、相手の人格や人間性そのものを攻撃するものではないからだ。
かみぽこぽこさん の記事より
とあった。
私の年にしては、少し年のいった父に育てられ、少しだけれどアメリカで教育を受け、教えられたことだ。
自分の意見や思いー思想ーは心の中にとどめておいたり、人を傷つけない範囲で表明したりすることは、誰にでも認められることだ。
議論は「論破」より、お互いの妥協点を見つけるためにするものだ。
問題を目の前にしてするべきは「議論」より「対話」だ。
だから、意見の相違がある無しに関わらず、相手を尊重するものだ。
そう思ってきた。
父が、生きてきた時代の苦悩や葛藤は、私には理解できないものも多い。
そして、私が生きている時代の苦悩や葛藤は、父が生きてきた時代とは違うこともある。彼は男性で、私が女であることも含めて。
理解できないけれど、お互いに敬意を持つ。
その大切さを父は寡黙さと、時折見せる頑固さで示していた。
私は、そんな父に育てられたことが、私のアメリカでの生活を楽にしたと思っている。
意見が違っても、ときには理解できなくても相手を尊重することの大切さを教えられていたから。
そんなことを、昔よくいたおじさんは多くを語る人も、あまり語らない人も自分たちの姿勢で伝えていたように思う。
そういう存在は貴重だったと思う。
そして
議論は「優しい人」になるためにあるー
私も、生徒たちに伝えていきたい。
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