見出し画像

空っぽの桶に満たされる

島食の寺子屋の校舎がある崎地区には、田んぼが2枚だけある。
ひと昔前は、同じ崎地区内で他にも数世帯が米作りをしていたところも、段々と手放されていき、今では地区の中で1世帯だけが田んぼを続けている。手放された田んぼの跡地は、雑木や草で鬱蒼としていて自然の姿に戻りつつも、山の中に不意に平坦な土地が不自然に浮き上がってくる。

島でとれたお米を当たり前のように毎日食べているけれども、そんなお米も農家さんが辞める時は一瞬で終わる。米農家さんが、地区内だけの話といえど、残り1世帯しかない状況を目の当たりにするからこそ、そう思えてしまったのかもしれない。

そんな崎地区で唯一の米農家さんのもとで、田んぼの植え継ぎの体験をさせて頂いた。米農家さんといえど、海に面している家に住まれていて、日常生活のように船でサザエや鮑を採っている、いわゆる「半農半漁」の暮らし。

画像8

いつもの朝が始まるような雰囲気で、田植えも始まった。
植え継ぎの作業は、田植え機が通ったあとに、機械がうっかり植え忘れた部分を、人が手で植え足すもの。1ヵ所に2~3株の苗が植わっているか確認しながら、足りないところに継ぎ足していく。

画像2

案外、機械もいい加減なんだなと思いながら、田んぼの中に足を踏み入れる。苗と苗の間は、50cm程だろうか。踏み入れただけで、苗を踏みつぶしてしまいそうで、恐る恐る足を抜き差しして進んだ。

画像3

田んぼの中にあるサギの足跡を見て、「サギも似たような歩き方しているのは、こんな気持ちだからかな?」と、たまたま隣で田植えをしていた生徒に聞いてみたら、「どういうことですか?」と返された。感覚の共有って難しいと思いつつ、再び下に広がる田んぼへと視線を戻す。

画像4

よく見ると、本当に小さな小さなオタマジャクシがいて、イメージの大きさからすごくかけ離れているのに驚いた。そりゃ、もとから大きかったら、成長なんて言葉はいらないと当然のことに気付く。1週間もしたら大きくなるらしいので、もう1度見に行こうと思う。

徐々に田植えにも慣れてきて、最初は恐る恐る歩いていた苗の間も、初めてプールに入った日のような、すがすがしい気持ちで歩けるようになった。

画像8

最初は30分だけとしていた体験も、気付けば3時間もしてしまい、昼休みの町内放送が流れた。体験をさせて頂いたお礼を伝えて、家に帰ってお昼ご飯にしようとしたら、米農家の奥さんが桶とお茶を持ってきた。作業が延びてしまって、家に帰ってもすぐにご飯がないだろうということで、30分で作って下さった即席のチラシ寿司。

画像6

お米はもちろん、目の前にある田んぼのもの。
これほど至近距離の地産地消は初めてだ。
田植えの終わった田んぼを眺めながら、チラシ寿司を食べ進める。

酢が効きすぎてなくて、食べても食べても食べ進む。
たくあんがまた美味しくて、たくあんだけでもボリボリと食べ進められる。
何杯かお代わりをして、桶の中はあっという間に空っぽに。

画像7

生徒が残ったお米を丁寧に寄せていた。空っぽの桶の中をしゃもじが通る様子を見ていると、空っぽの桶を見ているはずなのに、なぜか満たされた気分になる。お腹の中はすっきりとしていて、もう少し食べたいとも思った。

帰りは泥だらけになった足を海辺で洗い、小さな貝も連れ立って一緒に帰った。まだ海水は冷たく、海に入れる予感だけはしている。

画像8

(文:島食の寺子屋・受入コーディネーター 恒光)