noteまじメ日記(3)−画面から舞茸/煙草少女–
某日、夕方。家族が関わっている生放送のニュース番組を観ていたら、ブルックリンに菌類好きが集結したという、野趣あふれる盛大なキノコ祭が紹介されていた。スタジオには催しに登場した菌類マニアご自慢の舞茸が用意されており、アンカーが楽しげに披露する。それは日頃、アジア系食料品店で見かける薄茶色のフリルスカートのように弱々しい舞茸とは違い、いぶし銀の帽子をつけた隆々と逞しい白色のボディだった。舞茸といっても色々あるんだな、とTV画面を観ながらマッシュルーム界の格差を思う。
数時間後、プロデューサーが持たせてくれたという本番終わりの舞茸が、我が家の台所へやって来た。ようこそ。ついさっきTV番組で観たのと同じ物が、目の前にあるという不思議な光景。ちょっと前の過去と今がぴったりとくっついてキノコになった。もしくは、TV画面から出てくるのは貞子だけじゃないってこと。
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地下鉄Q番線。キャナル駅の古く狭いプラットフォームで、眼鏡をかけた学生風の女の子がひとり、超然と煙草をふかしていた。高校生にしては幼い。体幹を感じさせるポーズは微動だにせず、彫刻が片手だけを動かしているかのごとく、悠々と。マリファナやEシガレットなら驚かずにただ目をそらすが、彼女の細い指がはさんでいたのは、茶色のフィルターがついた昔ながらの煙草だった。昭和の喫茶店の灰皿にあったあれ。80年代のアスファルトに散らばっていたあれ。女の子の口元から、くゆる煙が線路の上に伸びてゆく。白い煙はもっと強い記憶、決定的な何かを思い出させる気がしたけれど、それが何かを思い出す前に列車が来た。