みんなのムーミン、アンダルシアのカバ
あれはパンデミアの前だった。
高校時代の担任の先生に会った。
海外に住んでいることもあり、同窓会のようなものには全く参加していなかったが、その夏は当時の同級生たちの企画で、先生の家に遊びに行くことになった。
先生は、夫も連れてこいという。
久しぶりに会う先生は、全く変わらない。
エネルギーの塊のような人だなあと改めて思った。
私が結婚したことには驚いていた。
帰り際、先生が夫にネクタイを手渡した。
先生のご主人がフィンランド旅行で購入したものだという。
ムーミンだ。
「買ってみたはいいものの、ちょっと派手だからつけられないっていうのよ。だから、あなた代わりにつけてやってちょうだい」
夫は感激していた。
当時、夫が勤めていた学校では特にネクタイは必要なかったが、今の学校はネクタイ必須だ。
普段はいかにも真面目そうな柄のネクタイをしていっている。
年に数回ほど、今日はちょっとカジュアルでもいいよ、という日がある。
あるとき、夫は今日がその日だと思ったのだろうか。
「今日こそムーミンを連れていきます、私は!」
そう言って、大切にしまっておいたとっておきのムーミンとともにはりきって登校した。
夫の中では、
「あ、ムーミン!」
「おしゃれですね先生」
なんていうコメントを期待していたのだろうか。
なんとなくご想像頂けると思うが、夫の作戦は往々にしてそううまいこといかない。
午前中、誰も夫のネクタイには気付かなかったようだ。
午後になって、ある学生が気付いた。
「なあ、そのカバ何?」
「ほんまや。なんでカバのネクタイなんかしてるん?」
びっくりした夫は、これはムーミンという偉大なキャラクターだと説明した。
「へえ、知らんわ」
「そうなんや」
学生さんたちは大して興味を示さない。
次のクラスでは、カバが好きなのかと聞かれただけだったらしい。
夫は意を決して聞いた。
「みなさん、ムーミン知ってますか…?」
結果として、そのクラスにいた数十人の誰一人として、ムーミンを知らなかった。
みんなのムーミン、世界のムーミン、ムーミンカフェ!
夫は10回ぐらい「ムーミン」と連呼したらしいが、アンダルシアの学生たちにとっては、それはカバでしかないということらしかった。
私はムーミンについて特に詳しくないが、絵本やグッズを見たら「あ、ムーミンだ!」とわかる。おそらく日本人の多くがそうではないだろうか。それとも、年代や好みによって知名度は異なるだろうか。
一方で、スペインではほとんど知られていないことにちょっと驚いた(あくまでもアンダルシアのひとつの地域での話です)。
こちらの当たり前はみんなの当たり前ではないのだなあ!
「そんなこと今どうでもいいんです。私にとっては、日本の先生から頂いた大切なネクタイのデビューの日でした。それを「カバが好きなのか」で終わらせてしまっては、ムーミンがかわいそうです。先生にも何と報告をするんですか!」
それ以来、夫がムーミンのネクタイをしているのを見たことがない。
ちょっとせつない春の終わりだった。
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