労働学生生活 ひとくぎり
目の前に5種類のじゃがいもがある。
今日はどれにしようか。
多めに買いたいけど、5キロは多すぎる。
持って帰れるかわからない。
でも、煮込みにも入れたいなあ。
しばらく悩んでいると、私の肩をとんとんとたたく人がいる。
昨朝、私はアンダルシア田舎のスーパーにいた。
今日から大嵐がくるというので、今のうちに野菜や果物を確保しておこうと、朝からスーパーにやってきたのだ。
牛乳
ビスケット
にんじん1キロ
ミニトマト500グラム
みかん1キロ
キャベツ1.4キロ
ブロッコリー400グラム
次々とカートに放り込む。
こうやって改めて書き出すと、一体何キロ担いで帰ってきたのだと思う。
道理で、今朝起きたら腕が痛いはずだ。
用意した買い物リストも残すはじゃがいものみとなった。
歩いて持って帰るため、2キロか3キロの袋にしよう。
さて、どれにしようか。
そんなときだった。
私の右肩に誰かが優しく触れたのは。
知り合いだろうかと振り向くと、全然知らない人だった。
「じゃがいもといったら、これしかないで」
「え?」
「これ、これしかない。これが一番おいしいんやから!」
「これとこれの違いがわからなくって、悩んでたんです」
「そんなことは知らん。とにかく一番おいしいのはこれや!」
そう言って、セニョーラはフライドポテトのイラストがついているじゃがいもの袋を指さした。
そして、ムームーみたいなドレスを着たセニョーラはウインクを私に送りレジに向かった。
アンダルシアだなあ。
懐かしく思いながら、買い物を続ける私の表情は和らいだ。
◆
6月末、修士論文のDefensa(ディフェンス、口頭試問)を終えた。
日本出発の3日前だった。
Defensaの前、修論アドバイザーのK先生から何度も連絡があった。
どれも前向きなもので、大変励ましていただいた。
最優秀評価をつけてくださったことを後ほど聞いたが、このときの私はそんなことは知らない。
Defensaの数日前、K先生は言った。
自分が担当している学生のDefensaは毎回必ず見に行くことにしているが、どういうわけだか、あなたのDefensaは見に行けないことになった。その日は街にいないからだ。評価委員会のプレジデントに日程変更をお願いしたが無理だった。唐草、本当にごめん。でも、あなたならきっと大丈夫だ!
ちょっと不安になった。しかし、いずれにしてもプレゼンは1人でやらなければならない。
それに、プレジデントを含む3名から構成される評価委員会には、私の好きなA先生がいる。よし、K先生がいなくとも、A先生がいるなら大丈夫だ。
そんな風に思っていると、K先生が続ける。
「それでね、A先生なんだけど。その日は人類学の会議があって彼女もこの日は街にいないのよ。だから、違う先生が代わりに来るわ。これについても日程変更を交渉したけど、プレジデントからイエスはもらえなかったわ。唐草、本当にごめん」
最大の味方であるK先生がいない。私の尊敬するA先生は評価委員会のメンバーから外れる。残るは、私の研究内容と領域がかぶることはかぶるが、気をつけなさいとK先生から言われているプレジデント、残り2人は人類学の教授ではあるが、私の研究内容とは少し離れる方々だ。そして、2人ともグループワーク時にもめた先生方であった。
悪い意味で、なかなかこうはならないだろうというメンバーがそろった。
私らしいといえば私らしい。
プレジデント対策用にと、K先生がアドバイスをくれた。
・プレジデントの論文をあえてひとつも引用していないこと、プレジデントの専門領域についてあえて全く触れていないことを聞かれるかもしれない。その場合は、笑顔でうまく説明すること。
・それでも突っ込まれた場合は、非常に興味のある内容ですから、博士課程で是非調べてみたいなど、上手にかわすこと。
やるしかない。
◆
Defensa当日。
何度か深呼吸をし、気合いを入れた。
不安しかないが、アウェイな状況はここにきて急に変わらない。
そして、ここはスペインだ。やるしかない。
数日前、大学から届いた手紙には、Defensaを行う部屋の名前が記載されていた。
見たことのない名前の部屋だ。
大学の地図にも載っていない。
ロシオに話すと、大学に電話をして聞いてくれていた。
彼女は私のDefensaの日に病院に行かなければならない。だから、せめてできることをやらせてくれと言って、電話をかけてくれたのだ。
だいたいこのあたりだという説明をイラストともに送ってくれた。
部屋の前に行くと、クラスメートが1人応援にかけつけてくれていた。
ペルー出身の彼女は、私と同じ昭和生まれだ。
同じような仕事をしていることから、私の研究テーマに興味をもち、本を貸してくれたり文献を送ってくれたりと、大いにサポートしてくれた。そんな彼女が応援に来てくれるのだから、とても心強い。
部屋に入りスライドの準備をしていると、スーツ姿の先生たちが現れた。
修士課程を修了するタイミングは3回ある。
今回6月の初回に発表する狂った学生は私1人だと委員会の先生たちが言う。
ほかの皆は秋以降または来年に持ち越しのようだ。
発表直前にあえて聞きたくなかった内容だが、第一号としてのプレッシャーはいつもの逆切れとやけくそと開き直りではねのけることにした。
発表はうまくいった。
廊下でのパワーポーズと開き直りが効いたのかもしれない。
2名の先生方は、身に余る高評価をくださった。
すぐに忘れてしまいそうなので、ここに書いておく。
・難しいテーマを大変面白く仕上げてみせた、完成度の高い研究
・人類学出身でない学生がフィールドワークを含め短期間でこのレベルまで仕上げたことは高評価に値する
・最初、クラスで苦労していた頃からの大きな成長を評価する
・章ごとの振り返りが非常にユニーク。もっと読みたいと思わせてもらった。思考過程も含めて人類学の面白さを改めて見せてもらった
・博士論文が楽しみである
また、その後頂いたアドバイスも非常に建設的でありがたいものだった。
最後に、プレジデントによる講評があった。
おめでとうから始まった言葉は、徐々に批判めいたものにかわっていった。
彼女の専門領域に触れていないのはどうしてか、彼女にとって非常に重要な内容である、納得できないという話がなされた。
準備しておいた自分なりの理由を笑顔で説明した。
しかし、プレジデントは気に入らなかったようだ。
私の回答は彼女の大声にかき消された。
その後、メインテーマについて話し過ぎている、理論展開がおかしいという話になっていった。
2人の先生が顔を見合わせているのが見える。
ペルーの友人は顔をしかめている。
私自身は、プレジデントの説明に全く納得がいかない。しかし、自分の意見を述べ始めたところで、私の持ち時間切れになってしまった。
最後に、先生方にお礼を述べた。
話しながら、必須科目の大変さや理不尽さ、差別やら噴火やらを思い出した。グループワークの苦労話を冗談を交えながら話していると、プレジデント以外の先生方が懐かしそうに笑いあっているのが見えた。
私はだんだんと感情のコントロールが難しくなった。
ぐわー!!(私の泣き声は実にこんな風に発声された)
叫びだすように泣き出したと同時に、先生方への感謝を述べようとしたものだから、とても気持ちの悪いものになった。
1人の先生が水はないかとペットボトルを探し始める。
クラスメートは自分の水筒を持ってきてくれた。
唐草、もうやめてもいいわよ!感謝の気持ちは伝わったから!
そう言ってくれる先生がいたが、私はしつこい。挨拶はちゃんとしたい。
いやです!つづけますー!うわー!!!
そう叫びながら、何とか最後の挨拶を終えることができた。
今振り返っても、非常に暑苦しい迷惑な挨拶だったと思う。
その後、成績判定がなされるとのことで、クラスメートと私は廊下に出ることになった。
みっともない姿を見せて申し訳ない。
クラスメートに謝ると、そんなことはどうでもいいのだ、お前はやりきったのだ!と抱きしめてくれた。そして、プレジデントの意見は非常に個人的なもので気にする必要はないとなぐさめてくれた。
数分後に部屋に戻ると、プレジデントから最終成績が発表された。
8.8
ああ?
耳を疑った。
身の程知らずのため、ずうずうしいことを承知で書く。
私自身は、最優秀の9以上はもらえると思っていた。これだけがんばったのだから。
K先生は、最優秀なら大学のレポジトリに登録されるから、フィールドワーク先の個人情報のことなど掲載方法についてゆっくり話しましょうと先日言った。
茫然としている私のところへ、厳しい評価をすることで有名な先生が抱きしめに来てくださった。
ほんとによくやったわよ、唐草!
もう1人の先生がお祝いの言葉を述べに来てくださった。
何か思うところがあったらいつでも言いなさいという言葉とともに。
プレジデントは、ほほほ!あなたの博士論文が楽しみね!と言って私をハグして帰っていった。
なんやこれは。
見に来てくれたクラスメートの方を見ると、彼女が首を横に振っている。
そうか、私は戦いに負けたのか。
K先生には、Defensaが終わったらすぐに電話しろと言われていた。
しかし、とてもそんな気分にはならなかった。
病院から合流してくれたロシオとペルーのクラスメートの前で、私は管を巻いていた。
クラスメートはプレジデントの評価に憤慨しており、あれはいじめじゃないかと、私のために怒ってくれた。
この1年、一番力を入れた修士論文は必須科目や選択科目と同じような点数を頂けるものとして疑わなかった。
ばかな私は自信が過ぎた。
冷静になって考えてみれば、10のうち8.8という評価はとてもよいものなのだ。
しかし、このときの私にはそう思えなかった。
K先生にメールで報告すると、すぐに電話がかかってきた。
先生は少しがっかりしていた。ただ、人生にはそういうことがあるのだ、相性もある、もし博士課程に進めばそういう経験をいっぱいするだろう、人類学出身でないことで嫌な思いもするだろう、嫌な人に出会うこともあるだろう。それも人生だ。強くなりなさい。でも、あなた、これはいい成績なのよ!
日本で羽を伸ばしてらっしゃい!秋に戻ってきたとき、プレジデントに改めてけんかを売りに行けばいいわよ。
そういいながら、40分をかけてK先生は私をなだめにかかった。
その後、紆余曲折を経て、私は成績の再評価を求めることはせず、この成績とともに大学院を修了することにした。
3日後、修論発表の疲れがとれておらず、やりきったという気持ちもそこまで感じられないまま日本へと向かった。
それから、あんなに待ち遠しかった東京駅の丸善に結局一度も行けなかった空白のような時間を過ごした後、日本の夏と秋に心も体も癒してもらった私は元気になった。
◆
今、私はスペインにいる。
大学院修了おめでとうという言葉をもらうたびに、ほんとに終わったんだろうか?と自分でもよくわからなくなる。
しかし、確かに修了したのだ。
修了証書発行に176ユーロ、成績証明書発行に23ユーロかかるという恐ろしい連絡が大学からあったから。
修了証書は発行に1年かかるというスペインらしい時間の流れの証明とともに。
◆
先日、博士課程に在籍中の先輩から連絡があった。
唐草、お前も僕と一緒で大学での専攻が人類学じゃないから、この大学では苦労するぞと書いてある。
以下、私の個人的な経験によるものかもしれないが、私の在籍している大学では、学部の専攻が人類学ではない場合、微妙な扱いを受けることが少なからずあった。大学院で人類学を学んだとしても、大学で人類学を専攻していないから人類学者にはなれないという共通認識があるかのように。大学院時代、人類学部非出身者の間では、「じゃあ、私たちをなぜ合格させたのだ」、「人類学出身でないと、まるで人ではないような話し方はなんだ」といった声が聞かれた。
個人的には、人類学部でそのような認識が存在する(と私には思われた)ことが非常に興味深く、今後の研究テーマの一つにしようと思ったが、そんなことを書いたら大学を追い出されそうなのと、すでに何人かから止められたため、おとなしくしている。
自分自身、基礎知識、理論の応用力、先行研究などのリサーチがまだまだ足りないことは大いに自覚している。ただ、何学部出身であれども、学ぶ意欲や努力は評価されてよいと思う。
と、ここで管を巻くことがこのnoteの目的ではなかった。
てんやわんやありながら、なんとか無事に修了しましたというご報告と、自分への「お前ようやった」の労わりと、自分の記録のためにDefensa前とその直後の状態を振り返ってみた。
この1年間、日本そして世界のあちこちから見守ってくださったnoteの皆さま。
私がどうしょうもないときも、一緒に笑い、怒り、呆れ、最後にやっぱり笑ってくださった皆さまなしでの修了はありませんでした。
不安なときは、皆さまのコメントやメッセージをかき集め、暗記し、大学に向かっておりました。
皆さまの存在が、どれだけ追い風になったことでしょう。
本当にありがとうございました。
皆さまへ300にゃーを送ります。
にゃー!!!