見出し画像

労働学生生活(2学期後半もうすぐ終わる)走る阿呆、ロシオと初めてご飯

「次はXX駅に停まります」
 
聞いたことがない駅名がアナウンスで流れる。
 
「そんなわけないわよ!」
 
「めちゃくちゃやな!」
 
乗客が自動アナウンスにまあまあ大きな声でつっこんでいる。
 
故障か何かで、別の場所に行く電車の車両を使うことになったらしい。そのせいだろうか、アナウンスも別の目的地用のものがそのまま流されたようだ。
 
ダイヤがめちゃくちゃなので、1本前の電車に乗れなかった人もこの電車に乗っている。そのため、指定席のはずが通路に人があふれている。
 
そのうち、いつもは通過する駅にも電車が停まり始めた。
戸惑い始める乗客がいる。
外は暗い。
アナウンスは間違っている。
乗客の不安とイライラが立ち込める車内で、私は自分が今どこにいるのかわからくなり始めた。
 

そんなときだ。

 
「皆さん、こんばんはー!火曜の夜、いかがお過ごしですか!今日は急な変更でいろいろご迷惑をおかけしましたー!でも、心配はご無用です!!だって、今から僕がアナウンスしますからね!えっと、次は〇〇駅!〇〇駅です!間違えずに降りてくださいね!じゃあ、また次の停車駅のお知らせでお邪魔しまーす!!!」
 

突然のお兄さんの陽気すぎるアナウンスに、乗客たちが笑い出す。
 
「なんやあれ!」
 
「やだもう」
 
乗客たちの頬が一気に緩む。
 
しばらくして、電車の速度がゆっくりになった。
次の停車駅が近づいたようだ。
 
「こんにちは!再び私です!次は〇〇駅!〇〇駅に停まります!これ以降は自動のアナウンスに代わってもらいます。停まる駅は自動アナウンスのものと同じですから!じゃあ、皆さん、ごきげんよう!また次故障したときにお会いしましょう!おやすみなさい!!」
 
お兄さんのアナウンスは車内の空気をまあるくした。
 
「あはははは!いいわね、彼のアナウンス!」
 
「またお会いしましょうだなんて、全く。言ってくれるわね!」
 
電車の故障と遅延でイライラしていた乗客の機嫌を、お兄さんは実にアンダルシアらしいやり方で直してみせた。

ああ、アンダルシアだなあと思う。



 
気が付いたら5月が終わろうとしている。
ということは、2学期ももう終わるということだ。
今週で全ての授業が終わり、残すは修士論文と課題の提出のみとなる。
 
 
前回、「修士論文のほかに、来週はクラスで30分のプレゼンと課題提出、その2週間後にも課題提出がある」と書いた。
その後どうなっているのか、経過を含め記録したい。

 

修士論文


24日(金)に大学から届いたメールに、論文の提出を27日(月)から受け付けますと書いてあった。
そんなばかな。27日というと、3日後じゃないか。
修士論文の第一回提出日は、6月10日から11日にかけての24時間のみのはずだ。急に締め切りが早まったのだろうか。
ロシオやほかのクラスメートに確認するが、皆知らないと言う。クラスメートの大半は、7月から11月にかけての第二回、三回提出日に修士論文を出す予定だ。来年にまわした人もいる。いくら日本に帰るからとはいえ、授業や課題と合わせてどさくさに紛れて修士論文も一緒に走り抜けようと思っている阿呆は私だけなんだろうか。
 
そのメールには、ほかにもどきどきするようなことが書いてあった。
昨年から、フォントTimes New Roman、文字の大きさ12、行間隔1.5で準備をしていた。修士論文アドバイザーのK先生にも確認済みだ。しかし、大学からのメールには、フォントArial、文字の大きさ11とある。K先生が言っていたことと異なる。
文字の大きさが小さくなると、ページ数も変わってしまう。私が通っている大学の修士論文規定枚数は80~100ページだ。今日の段階で96ページなので、結果的に枚数が足りない心配はしなくてよい分量になったのだが、金曜日の段階では80ページほどしか書いていなかった。フォントを小さくしてページ数が大幅に減ったらどうしようと不安だった。
 
また、メールについていたリンクをクリックすると、「締め切り15日前までに修士論文アドバイザーに最終原稿を提出すること」と書いてあるページに飛んだ。
そこには表紙のつけ方、提出前に誰のサインが必要かなど細かい規定が書いてある。初めて目にすることばかりだ。
 
ちょっと落ち着こう。
 
ロバの写真を見て深呼吸した後、先週末は籠りにこもり、最後の結論パートまで何とか書いた。
 
日曜の夜、アドバイザーのK先生に96ページ分を送った。K先生は何と言うだろうか。これから微調整が入るだろうが、来月の初回締切に何とか間に合わせられるとよいなと思っている。
 
この時点で、スペイン語のネイティブチェックをお願いすることにした。冠詞や時制のチェック、スペイン語に存在しないような妙な言い回しをしていないか見てもらうためだ。私のサングラスを見て、お前スポーツ選手になるのかと言った小学校の校長先生をしている友人と、「提出前に私にスペイン語チェックさせて!」と言ってくれた日本語クラスの学生さんが担当してくれる。原稿を送ると、二人から「まかしとけ!」とすぐに返事があった。ありがたいことだ。
 
また、K先生からも返事があった。
あなたの受け取ったメールの締め切りは、学部生向けの情報よ。修士論文はこれまで通り10日で変わらないわ!フォントもTimes New Romanでいいわよと書いてあった。
ただ、大学からのメールには、「卒論、修士論文の第一回締め切り日と規定について」としっかり書いてある。もう何を信じていいかわからなくなっている。しかし、K先生がそう言うのだから、今のまま締め切りは10日と理解し、フォントもTimes New Roman、12で出してみることにしよう。
 
 

30分のプレゼン


今回とっているクラスのひとつに、グループでの30分間のプレゼンとエッセイ提出という課題があった。昨年のグループワークで懲りた私は、今年に入ってからはなるべくグループワークのない科目をとっていた。
このクラスはグループワーク必須とシラバスに書いてあった。仲良くしているロシオはこのクラスをとっていない。かなり悩んだが、内容にはとても興味がある。何としてもとりたかったので履修登録をした。
 
初回のクラスで、課題についての説明があった。基本はグループワークだが、どうしても個人でやりたい人がいたら相談するようにと先生が言った。クラス終了後、一人でやってもいいですか!と先生に聞きに行った。あなた唐草よね?と先生が言う。K先生からいつも話は聞いているわよと言うので、一体どんな話を聞いているんだろうかとふと心配になったが、大人のふりをして聞き流すことにした。一人でやっていいという許可をもらった私は、出された課題の大変さにそのときはまだ気づいていなかった。
 
このクラスには、ついていくのにも苦労した。前にも書いたが、その場その場で論文の切り抜きを読んで議論するからだ。どの理論を当てはめるか、どう展開するか、ここから何が読み取れるかなど、今読んだばかりの論文について議論が展開される。読むスピードからして追い付かず、圧倒的な言葉の壁を感じたクラスでもあった。また、スペイン語話者の話す量の多さと即興性、自己肯定性、ディベートの上手さにはいつも驚かされた。
私ときたら、ある時は、聖書の話が出てきたはいいが、皆が言う「エバ」が最初は誰のことかわからなかった。途中で、エバはアダムとイブのイブのことだとわかり、スペイン語でイブはエバかあ!と感動していたらディベートが終わっていた。また、ある時は、論文の内容に興奮するあまり後先考えずに発言しては、それ今の議論とどのぐらい関係があるのかと言われ落ち込んだ。そんな具合なので、成績の20~30%を占めるというディベート参加は、私にとっては心配の種でもあった。
 
先生から出された課題はケーススタディだった。細かい指示要綱を読み、これは大変なことになったと頭を抱えた。一人でやると勢いで言ってしまったことを猛烈に後悔した。しかし、後戻りはできない。結果的に10日ほど、修士論文はいったん置いておくことになり、その週は、なんで私はこんなことをやっているんだろうと、泣きながら課題のための論文読みと分析に明け暮れた。
 
「皆さんに異論がなければ、私からやってもいいですか!」
10日後、栄養ドリンクを飲み、廊下でパワーポーズを済ませた私は言った。皆がCanvaでおしゃれなスライドを作る中、昭和生まれの私はパワーポイントの地味なスライドをプロジェクターに映す。
 
30分間は思ったより短かった。
もちろん何度か噛み、そのたびに言いなおした。exportación(エクスポルタシオン、輸出)と explotación(エクスプロタシオン、搾取)を言い間違えそうになり、「あ、違った!」と思わず日本語で言った。まあでも、言いたいことは何とか言えたように思う。
 
「以上です。どうもありがとうございました」
 
プレゼン内容に対して誰からも質問が来なかった。それもそのはず、クラスメートたちは自分のプレゼン資料準備のためかパソコンをかたかたやるのに忙しかったのだ。
 
誰も聞いてなかったのか!
 
「非常に明確でよく分析できていたわ、唐草!」
 
クラス終了後、先生がわざわざ言いに来てくださった。先生は、私がスペイン語のハードルで苦しんでいるのをわかっていたのだろう。そういえば、「先生、今どこ!?」と叫んだのもこのクラスだった。
 
この先生は、博士課程も担当しており、K先生と一緒にプロジェクトをやっている。修士論文が終わったら、いつでもメールしなさいね!と言う先生にお礼を言い、教室を後にした。10日間泣きながらやったことは、意味があったと思う。

 

その2週間後にも課題提出


別のクラスの課題を6月頭に提出しなければならなかった。プレゼンの準備で修士論文には10日ほど手をつけられていなかった私には、もう一つの課題を来月頭までに完成させることなどもはや不可能に思えた。
 
このクラスの課題は、修士論文のテーマになるべく関係のあることで、クラスの内容と関連付けてエッセイを書くというものだった。しかし、私の修士論文のテーマはこのクラスと何の関係もない。実際、先生に自分の研究テーマを話したところ、先生は絶句した。仕方がない、君の研究テーマとは違うもので書くしかないねと先生は言った。
 
別のテーマらしきものを考え、論文を読み始めようとしていたところ、先生からメールが届いた。この先生は、私の修士論文アドバイザーK先生に相談したようだ。課題について、唐草もほかのクラスメートと同じようにどうにか自分の研究テーマに関係するもので書けないかと考えてくれたらしい。K先生と話してもらっていいかい、何かアイディアがあるらしいからとメールに書いてあった。既に別のテーマで進めようと思っていたが、先生たちの気持ちがありがたくて、K先生に連絡を取った。
 
 
とはいえ、課題には全く手を付けていない。
課題の締め切りを延長してもらうことは可能なものだろうか。
どう考えてもダメだろうと思ったが、ダメもとで、先生にメールをしてみた。
修士論文を第一回目の締め切りに向けて準備していること。そのため、課題の提出日をもう少しだけ延長してもらえると非常にありがたい。ただし、非常に個人的な勝手なお願いなので、難しい場合ははっきり断ってもらって構わない、どうにか間に合わせると書いた。
 
先生からは返事がなかった。
つまり、そういうことだろう。
先生に勢いでメールをしたこと自体を猛省した。
修士論文を早く出したいのは私の勝手な希望であり、クラス課題の締め切りとは関係ない。自分勝手な理由で締め切りの延長などありえないではないか。
自分のわがままを恥ずかしく思った。
次のクラスのときに先生に謝ろう。
 
翌週、休憩時間中に廊下にいた先生に声をかけた。
 
先日は、失礼なお願いをして大変申し訳ございませんでした!あれはなかったことにしてください!
 
やあ、唐草!変えたよ。
 
はい、先日の締め切りについては、何とかやります。先生の気分を害するようなメールをお送りして申し訳ありませんでした。
 
唐草、ちゃんと聞きなさい。変えたよ。
先生は同じことを言う。何がですかと聞くと、見てないのか君は!と今度は先生が叫ぶ。
先生は、私のメールを読んだ後、課題の締め切りは6月末までに延長しましたと書いたメッセージを学生用のウェブサイトにアップしたと言う。
 
先生が言っていることが信じられず、えええ?!先生、正気!?、と繰り返す私に、「その代わり、いいもの読ませてくれよ!」と先生がウインクとともに言った。
 
ありがとうございます、本当にありがとうございます!
私はとびかからんばかりに先生に抱きついた。
 
唐草、いいもの書けよ!
 
そう言って、先生は笑いながら教室に入っていった。
 
その後ろ姿に心の中でお辞儀をしたのはいうまでもない。
 
 
 
ロシオとご飯

大学院が始まって以来、ロシオと初めてお昼ご飯を食べに行った。
秋から、お互いいかに必死だったのかがわかる。
ストレスで休職しているロシオの表情は、先週より少し柔らかかった。
修士論文が無事提出できたら、もっとゆっくりご飯を食べよう。
私たちはそんな約束をした。
 
あなたとの時間は私にとってのセラピーだわ。
そんな風に言うロシオに、私のめちゃくちゃなスペイン語を馬鹿にせず付き合ってくれるあなたとの時間こそが私にとってのセラピーだわと思う。
 
彼女は今年秋から、全く別の専攻で大学生になる予定だ。
私は、修士論文が6月に出せたら、今の大学で勉強を続けたいと思っている。
大学で人類学を専攻していないため、選考ではかなり不利な状況だと聞いたが(スペインでは大学時の専攻が何をするにも響いてくる。大学院で人類学を勉強したことは意味がないのだろうか。全くもってわからない)、大学院の応募時と同様にやってみないことにはわからない。
もし、二人とも合格できれば、また学校で顔を合わせることができる。ともに、労働学生として。
 
もし合格しなくても、私あなたの街に遊びに行くから!
そんなかわいいことをロシオは言ってくれる。
 
 

電車の君マヌエル



駅の階段を上がっていると、久しぶりにマヌエルを見かけた。
やあやあ、君はもう卒業だったね!成績はどうだい?修士論文は?とマヌエルが聞く。
マヌエルの方は、もしかすると自分の街にある部署に異動になるかもしれないと言う。そしたら毎日電車通勤する必要もないし、もっとゆっくり寝られるよ!と喜んでいる。
 
彼も私の大学院生活を見守ってくれていた人の一人だ。

ひとしきり近況報告をしあった後、
じゃあ、また次に会うときまで!!
そう言って、マヌエルと別れた。
 

1年はあっという間に過ぎていくが、私は特にこの1年でいろいろな経験をさせてもらった。
スペインに来てから徒歩30分圏内で暮らしていた私の世界は大きく広がった。
スペイン語で何度も悔しい思いをし、自分のできなさ加減に嫌気がさした。
また、これまででこんなに勉強したことはない!と何度思ったことだろう。
同時に、クラスメートで「友達」と呼べそうな人が数人できたことに喜び、
先生たちに支えてもらい、
電車の君マヌエルのような人との触れ合いがあり、
そうか、人類学は自分について学ぶ旅だったのだなと思った。
 
20年ぶりに戻った大学という環境は、私にとってあまりに多くのことを与えてくれた。いいことも悪いことも全部含めて、やってよかったなあと思っている。
 

 
そんなあれこれを大学からの帰りの電車で考えていたら、また自分がどこにいるのかわからなくなった。
 
電車は遅れて出発した。
通常ならもう着いている時間だが、この分だとまだだろう。
アナウンスはない。
外は真っ暗だ。
 
 
しばらくして、電車が停車した。
 
隣の女性に今どこの駅に着いたのか聞いてみる。
「▲駅だと思うんだけど」
▲駅なら私の降りる〇駅の一つ手前だ。
よかった。
安心していると、その女性が別の乗客に聞いた。
「▲駅ですよね、ここ?」
 
「いや、〇駅だと思うよここ」
 
ええ!!
私〇駅で降りるんです!
 
そう言って、大急ぎでドアに向かう。
 
走れー!走れー!!!!
 
知らないおじさんが声をかけてくれる!
 
はいー!!!
 
そう言って猛ダッシュした私は、何とかドアが閉まる前に電車から降りることができた。
 
果たして、そこは〇駅だった。
 
この1年で電車旅にも慣れたと思っていたが、甘かった。
 
ゼイゼイ言いながらも、笑いがこみあげてくる。
 
これだから、アンダルシアはやめられない。
 
毎回綱渡りもいいところだが、昭和生まれの私は、アンダルシアのめちゃくちゃさやアナログさや、人と人とのやりとりがたまらなく好きなのだと思う。
全然かっこよくないし、泥臭いことこの上なく、遠回りばかりしているように思える毎日は、生きてるなあ!と思わせてくれる。ときどきもう嫌になって、アンダルシア田舎に向かって「いい加減にしてくれ!」とぼやきながらも、私はもうしばらくここで生活するのだろうなあと思っている。
 

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?