伊藤紺さんの短歌合宿に参加しました
こんにちは、甜々です。
2023年2月23.24日に伊藤紺さんの短歌合宿、SHIGOTABIのイベント「時間が濃くなるまち 〜富士吉田・短歌合宿〜」に参加してきたので感想を綴りました。
本当は参加直後に書いていて、掲載予定だったのですが自己満でキモイかなと思って載せてませんでした。
でも時間を置いたら大丈夫になったので、次の短歌合宿が決定したとの報せもあり公開してみます。
合宿に参加するまでの短歌歴
短歌は高校の時に、とある方のアイドル短歌をTwitterでみかけたのがきっかけで強烈に惹かれました。小説や日記を書くのが元々好きだったけれど自分の気持ちを上手く表現できてない歯がゆさと、大学受験をAOで受けるにあたってなんにも実績がない…と、焦りを感じていた時期に出会いました。長い文章を一生懸命ひねり出そうとして苦しかったけど、31文字にしたらびっくりするほど息がしやすかったことを今でも覚えています。そこからたまたま和歌で有名な先生がいる大学を見つけられたおかげで、大学受験に向けて和歌を勉強したり、純粋に楽しくって嬉しくって2年ほどインターネット上での投稿を続けていました。
ちなみに人生の第1作目は
触れる時いつも指先冷たいし、優しいひとだとはおもうけど
でした。
しかし、次第に男性歌人にネトストされたり、自分の意図に反する広まり方をしたことで嫌になってしまい、短歌に集まっている人々との関わりを持たなくなっていました。
参加のきっかけ
そんなわけでずっと短歌を発表する事や、短歌関連のある集まりは避けていて、でも真剣に短歌の話ができるひとに1人でも出会えたらうれしいなあと言う気持ちはずっとあって、頭の中ではその事をほっといていました。
紺さんのことは4.5年前からフォローだけしていて、「肌に流れる透明な気持ち」という歌集が出ます!という告知で、このひと歌人なんだ!と気づいてからよく投稿をチェックしていました。
そしてある日突然、ストーリーで「短歌合宿やります!」というのを目にし、居てもたってもいられず…。でもひとりじゃちょっと怖くて、勝手に2枠取って高校からの友人である雑魚(愛称です)を誘って参加にいたりました。
1日目
雑魚とは当初、「どんな人がいるか分からないから、2人でくっついとこうね…」と、めちゃくちゃ消極的な参加スタイルを決め込むつもりでいました。どんな人が来る分からない、仲良くできるか上手くやれるかわからない。入学式と新学期のあの不安と期待の入り交じった非日常感がとても苦手なのですが、まさにそんな心境。
午前中には到着し、さてうどんでも食べようか、と思ってたのにまさかの雑魚がマフラーを忘れてきやがる。どうすんだよ!凍え死ぬぞ!と、到着してすぐマフラーを求めてウエルシアへ。多種多様なカイロが2棚に渡って展開され、まさかのマフラーまでしっかりあることが富士吉田市の寒さを物語っていました。そして雑魚はウエルシアでカラシ色のニットキャップも買っていました。古着屋じゃないんよ、ここは。
名物吉田うどんは歯ごたえバッチリの太麺がもっちもちのぶりぶりで、具にキャベツが乗っている優しい味わい。民家の一階みたいなお店は畳の上にあぐらを書いて座る、灯油ストーブの匂いがするこちらもやさしい風景。あの場所で吉田うどんが食べられただけでも富士吉田市に来る価値があると思います。
紺さんのワークショップ
さて、受付開始時間に今夜の宿である、Saruya hostelさんに到着すると続々と参加者の皆さまが増えていき、開始までまたドキドキ(不安)。19歳から30代の方、そして短歌をすでに詠んでいる人から初めての方まで16人が集まっていました。自己紹介でわかる23歳女性率の高さになんだか少し安心して、紺さんによるワークショップが始まります。
ワークショップは紺さんの選定した短歌の感想を言い合ったり、虫食い部分や下の句だけをみんなで考えたりして和気あいあいとした楽しい時間でした。自己紹介だけでは分からない、その人の考え方や感じ方が少し見えてきて、みんなで同じものを鑑賞したり、同じものについて考えたりすると、自分と同じように受け取る人、自分では絶対思いつかないことを言う人がいたりして。それはとても当たり前のことだけど、そのことが短歌を詠む、考えるという形で目に見えたのがとても面白かったです。
私は虫食いを考える時間に出されたお題から「子供がお母さんに嬉しくって電話をかける」イメージを受け、三句の穴埋めで「うんちでた!」が真っ先に思いついたのですが、いやいや紺さんにうんちなんて言わせられないし、出会って2時間しかたってない人たちの前で「うんち」ってどうなんだ…と思い下げてしまいました(笑) が、後に話したら出せばよかったのに!と他の参加者の皆さんからのツッコミを受けてしまいまして、この度の短歌合宿のワークショップはカッコつけずに伸び伸びやっていい場だったな、としみじみ思いました。
富士吉田の町を散策
ワークショップのあとは町へ出て散策。私と雑魚は神社に行ったあと、駅前の織物屋さんに行きたかったのですがすでにクローズしており、駅前の喫茶店でちょっぴり休憩。こちらもおばあちゃんちのような、地元の人があつまるほっとする空間で、ケーキもコーヒーもとっても美味しかったです。おとなりのマダムが私と雑魚の会話に笑ってくれて、すこしお話ししました。
散策から戻ってみんなで街の感想を言い合ったけど、みんな階段を昇って忠霊塔からい〜い景色を見た人が多くって、私も行けばよかった!!と後悔。でも、そんな後悔も旅の思い出。
その他にも用水路をごうごうと流れる水や、溶け残った雪、どこにいても大きな富士山が見えること、町にあるポスターや標識なんかについて語りました。「インドに修行行ってきます!」と貼ってあったカレー屋さんは、今帰ってきているのでしょうか。
夕飯と作歌
夕飯は各々で、という事だったので、また雑魚とふたりで町へ。飲み屋街があったので回ってみたけどどこも予約でいっぱいで、やっとみつけたの
はイタリアンでした。他の参加者の方は紺さんと飲んでいる方もいましたが、私と雑魚はまだ消極的な態度だったので2人でコソコソとパスタやピザを頂いてました。はずかしい!
夕飯を食べて戻るとみんな各々の部屋やホステルの至る所で作家に励みました。締切は0時。紺さんのメールアドレスに送ります。
富士吉田に来てから感じたこと、自分が持ってきたテーマ、新鮮な感動や気分をじっくりと短歌に落とし込んでいきました。雑魚とふたりでホステルの作業台みたいなところを借りてうんうん言いながら短歌を詠むのは、あと2時間で締切のくるレポートを何とかしあげようとする大学生のような気持ちになり、まさに合宿の醍醐味!とそんな感慨に浸れないほど時間が刻一刻と迫ってくることに焦りながらもがきながら作歌をしました。そして多くの参加者の方が同じように0時付近まで頭を悩ませて、ついに提出できたのでした。
気づいたら朝まで
締切がすぎ、今度は宴会がスタート。富士吉田のいい酒屋さんで買ってきてくださったワインや日本酒がどんどん開きます。
私は雑魚という心強い相棒のおかげでかなり喋りすぎたように思います。あの時はやかましい女で失礼いたしました。
お酒を飲んでるうちにどんどん打ち解けて、いつまで経ってもお酒を飲み続けて、まだまだ寒いのに新歓合宿にきたような気持ちでした。
短歌の話もするし、恋愛や日常や、再来月から始まる新年度の話もたくさんできて、寝て起きて少しの時間が経てばすぐお別れになることがとても寂しく思えました。あんなに消極的な態度で参加しようと思っていた自分を恥じました。富士吉田の夜は寒かったけれど、サルヤホステルのオレンジ色の電球は穏やかに私たちを照らしていて、心が解放されていったのです。
だいぶ酔いが回って最後まで起きていたグループは4時半まで飲み続け、私はぐでんぐでんだったので風呂も入らずに就寝。そして紺さんは最後まで一緒に飲んでいたのに、参加者の短歌をまとめるなどのご自身の仕事へ戻られていました。
2日目 みんなで短歌をよむ
10時には再度集合だったので朝食と支度のために8時には起きましたが、ひどい宿酔でオマケに近くに自販機(を見つける元気)がなかったので、ほとんど朝食も食べずに酷い顔で最後の集まりに参加することになりました。とほほ。
一日目に集まって、お酒を飲んだところにみんなで再集合して、昨晩詠んだ歌を鑑賞しました。
私が詠んだのはこの5首です。
雪がとけ流れてったらもう二度と雪にはならぬようなさよなら
夜明けから朝にかけてのまっしろですこしするどい空気の街で
コーヒーに丸いアイスがとけていく受けいれられることがうれしい
ひとりでもまあいっかって思えたら祈りのようなひこうき雲だ
昔よりちっちゃい源氏パイ ねえ、わたしらおとなになっちゃったのね。
宿酔をしていたせいかせっかく感想を頂いたのにあんまり覚えてない自分が憎い。(そもそも時間も経っているけれど)
ほかの紺さんを含めた16人の短歌は、きいていてうれしくなったりどきどきしたり、短歌を初めて詠んだからこその自由な歌だったり世界がそんなふうに見えていることやそんな過去の時間があったことが羨ましくなるような、そんな言葉で溢れていました。なにより、同じ町で一緒に短い時間だったけれど過ごしたことで、背景やモデルになったものごとが想像できて、これは短歌合宿でないと絶対に経験できないことだなと嬉しい気持ちになりました。
そして記念撮影を終え、サルヤホステルを出たみんなで散り散りに、それぞれの街へ「またね」といってお別れしていったのでした。
短歌なしで生きられますか?
他の参加者の方に突然聞かれたこの質問に、私は「考えたこともなかったけど、なかったら生きてなかったかも」と答えたそうです。もっと話したかったけどあまりに唐突で、まだ出会ってまもなかったので上手く話せなかったのでここに記しておこうと思います。
冒頭でも綴ったとおり、わたしは短歌を詠むことに出会ったとき「呼吸ができるようになった」という感覚がありました。その時の私は、言葉にしても人生にしてもなにかと迷っていた存在で、無理して海を泳ぐ淡水魚のような生き方でしたので、短歌に出会ってそれが少しだけ上手く呼吸ができるようになった、という思い出がありました。その後もしばらく、短歌といつもくっついて暮らして、短歌によって息ができたりしました。そういうわけで、短歌がなかったら生きてなかった、という言葉が自然に私の口から出てきたのでした。
今の私は、ちゃんと自分の呼吸のできる環境に身を置くことが出来ているので、いつも短歌がそばにいなくても楽に呼吸ができています。あの頃から、短歌以外にも、私を楽に生きさせてくれるさまざまなものに出会ってきたのだと思います。だけど短歌が磨いてくれた繋げてくれたたくさんの出会いによって、今の自分の持つ言葉と共に生かされているのだと思います。
どこにいても見える途方もない大きさでそびえたつ富士山のある町で、途方もなくちいさな一日を繰り返す自分と言葉を見つめあえた、そんな短歌合宿だったのでした。