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祖母のこと「心を見る」とは
祖母は現在94歳。しかし、本人は96歳と言っている。2022年4月から市内のケアハウス(自立型の介護施設)で生活している祖母。祖母の施設入所に至るまでさまざまなことがあった。祖母にとって草は大きな関心ごとの1つ。祖母が草に執着することで家族は苦しむことが多かったが、祖母にしてみれば、そこに大きな責任を感じて生きてきたのだろう。
祖母の入居
祖母は、ずっと母のアルツハイマー型認知症の状況を理解するのは難しい状態。祖母にとってみれば、自分より若い母がいろいろできなくなっていくことが理解できない。3年前、母がショートステイやロングステイを利用し、家を空けるようになり、祖母は「だまって出かけて」と母に対しての怒りが多くなった。その怒りは私にも向けられ、憔悴することも度々。その繰り返しの中で、もう一緒は無理、というタイミングがあり、祖母自身も入居を希望したため、離れる形となったのだった。
心のどこかに置いてほしいこと
今日お届けするエッセイは、まだ母と祖母を在宅で介護していこうと意気揚々としている頃(2021年3月)に書いたもの。介護に限らず、自分の中でなにかを決意する際に、心のどこかに置いてほしいことがある。それは、その決意、あるいは選択を必ずしも全うしなくてもいいということ。やってみて、それが辛かったり、苦しくなったりしたら、決めたことを変えてもいいと思う。そういう部分を心に置いておくと、何か起きた時に柔軟に動けるんじゃないかな。私が意固地を貫いたことで苦しんだから伝えたいこと。
そして、心を見るうえで大事なことは、自分以外の人の心を見ることも大事だけれど、自分の心を見ることもそれ以上に大事だということ。
2021年3月3日
エッセイ「心を見る」
先日、オンラインで参加した研究会の中で「発達障害」と呼ばれる子どもたちを診ている医師が「社会全体で心を見る力が落ちてきている」という話をされていたのが印象に残った。なぜなら、日々の生活の中で人の心ではなく、その人の行動を見て、様々な解釈をしている自分がいるからだ。確かに、保育の場で仕事をする際にも、子どもの行動を観察することで見えてくることが色々あった。しかし、その行動の奥にあるものをきちんと見つめてきたかは自信がない。
ここ何年か、祖母や母の「物忘れ」が進み、それに伴い、私にとって、いわゆる問題行動に思えることが増えていった。祖母は、物を置き忘れ、それが無くなると「誰かに盗られた」と言うことが増えた。また、農家で育ち、農家に嫁いだ祖母は、舅から草取りをはじめ、肉体労働としての仕事を叩き込まれ、今年の4月で91歳になるが、朝から掃除をし、草取りに畑仕事などをしてよく動く。そして、昔の苦労話を母や私に自慢げに語り、同じように働くよう強要するようなことを言う。それを私たちはプレッシャーに感じ、しんどく思うことが続いた。
特に、祖母の草に対する執念は私からすれば異常行動にも見え、夏の暑い盛りなど、身体に害を及ぼすと心配して止めに入るのだが、キリがいいところまで終わらないと気が済まない。私と母で草取りをしても、祖母から見ると中途半端で見ていられず、自分でやり直す始末。こんなことを数年くり返すうちに、私はなんとか祖母の草取りを止めさせようと、様々な作戦を練ってきたが、毎回憔悴して終わった。すったもんだの末、祖母の施設入所により解決を試みようと決心した。
しかし、そんな私の思惑は上手くいくはずがなかった。19歳で祖父と結婚し、それから70年以上我が家のためにと一心に働いてきた祖母が家を離れることなどできるはずがなかった。祖母の行動を疎ましく思う自分がいて、祖母が家を離れれば物事が上手くいくかもしれないと勘違いしていたのだ。施設入所が現実を帯びると私自身が祖母と離れることが辛くなったし、結局私のひとり舞台で、周りを巻き込み、勝手に苦しみ続けていたと気づいた。自分の苦しみばかりで、祖母の心を見ていなかった。
鼻歌などうたうようなタイプではなかったが、鼻歌をうたいながら朝の掃除をし、規則正しい生活を送る祖母。腰は九十度近く曲がり、杖をついて歩くが、筋力もあり、丈夫そのもの。私の名を繰りかえし呼んで、私を一番頼りにしている。どれだけ私を大事に思っているか、私が一番分かっているはずなのに、どこかで排除しようとしていた私。ごめんね、おばあちゃん。祖母の心をまだまだ見られていなかった私。
昨日の朝は、畑の玉ねぎにあげる肥料の撒き方を教えてもらった。来週は、ジャガイモを植える。歳をとることは、歳を重ねないと分からない。祖父が他界し13年、父が他界し7年。老いるということを日常の中で教えてくれている祖母や母。スーパーおばあちゃんは今、デイサービスに週4回通っている。同世代の仲間と過ごす時間も持てている。四六時中一緒にいるわけではないのだから、一緒の時間を大切に、祖母の心を見る営みを増やしていきたい。
祖母との今
祖母とは毎月一度は一緒に外出し、一緒に病院に行ったり、食事を食べたりしている。祖母の施設には週1のペースで面会に行き、祖母の部屋で一緒の時間を過ごす。人生初の1人暮らしでもあるが、もともとマイペースでまわりに左右されない性格だったこともあり、自分のペースで生活を送っている。そしてよく寝ている。部屋もいつもきれいに掃除されている。一時期、過度な要求をしてくることもあったが、そういうことも最近はない。怒ってばかりいた祖母の表情は今、とても穏やか。家にいていろいろ見えることで、祖母自身が抱えるストレスもあったのではと、精神科医が以前言った言葉を聴き気づかされた。
心を見るって、近いからこそ難しいこともある。家の草は義弟が刈ってくれている。祖母が草を抜いた後のようにはいかないが、それでいいと思う。そして、祖母は草むしりのプロ級のプロだったと分かる。ずっと働いてきた祖母にはこれからは穏やかに暮らしてほしい。
おばあちゃん、ありがとう。元気でいてね。祖母にとっても、母にとっても私が元気でいることが大事だと思える今。自分の心が見えるようになってきているのかもしれない。