かいていきたい
50歳になって
2024年9月に50歳になった。30歳と33歳の誕生日は病院で迎えた。しかも精神科病棟。膠原病のSLE(全身性エリテマトーデス)であった私は、CNSループスの症状が出て、躁状態になっていた。入院中毎日していたこと。それは「かく(書く・描く)」ことだった。ハイテンションの私に唯一与えてもらえたものがノートとペン。初の精神科入院から20年後の私は、びっくりするほどいろいろなことをやっている。その中に「書く」という仕事や活動がある。かくことで私は生かされてきたのかもしれない。「私が紡ぐ言葉が誰かにとってよりよく生きるきっかけになってもらえたら」と願い、note初投稿に2021年2月に書いたエッセイを掲載したい。
2021年2月
世の中も私もコロナで右往左往していた当時、46歳の私は編入学をした通信制の大学をようやく卒業できる段階にいた。母と祖母の介護がしんどくなり、幼稚園での仕事を続けることが厳しくなった。その理由として、SLEのの特徴や服用している薬により感染症にかかりやすいことと、三姉妹の長女でまだ唯一未婚の私が母と祖母の介護に専念するのがふさわしいと思っていたことがある。先は明るくない状況ではあったが「かいていきたい」という思いがふと降ってきた。そんな思いを綴った。
エッセイ「かいていきたい」
2021.2.22
去年の後半、テレビとかで「○○が自分にとっての救済だったことに気づいた」みたいな言葉を何人かが口にしたのをたまたま聞くことが重なった。それが妙に引っ掛かっていた。では、私にとっての「救済」はなんだろう、と考えてきたのだが、やはり「かく(書く・描く)」こと。かくことで内面を表面に出して、自分を救ってきたように思える。時にそれを誰かに伝え、さらなる救済を他者に託してきたのかもしれない。物心つく前から、気が付けばチラシの裏に絵を描いているような子どもだった。言葉を獲得してからは、誰かに手紙を書く喜びを覚えた。人生最大級の絶望を救ってくれたのもパステル画を描くことやエッセイを書くという行為だった。
先に挙げた、「救済」を口にした人の1人は福山雅治だった。彼が結構苦労人だったことを知ったのだが、「振りかえると若い頃から音楽に救われてきた。自分にとっての救済が音楽だった」みたいな話をしていて。それで、なんだか彼のいろんな面での活躍が腑に落ちた気がした。
そこで、思ったこと。自分への救済の作業が、時にその人の職業となり、生きる糧に繋がることがあり得るかもしれない、と。なぜなら、自己への救済が他者への救済になりうる、というのが1つの理由。自分の抱える苦しみや哀しみが種類は違えど他者の抱えるそれらとリンクすることは、同じ人間なら確率的に低くないのではないか。完全な私の経験値で、エビデンスはないけれど。そこには、共感、いや、シンパシーが生じうる。
2つ目の理由は、他者からの救済ではなく、自ら、自らを救済する行為を叶え、続けられる人は、人間としての悲哀や魅力も備えており、そこから発信されるものというのは、人を動かす原動力を生み出すと考えるからだ。
何かの「仕事」をする上で、この2つの要素は、ある意味で、利己・利他が可能になると思われる。結果、生きる糧(ある意味ではお金)になれば、これ以上のことはないのか、それは分からないけど。でも、そうやって生きる糧を得ている人は、多分、凄く他者に何かを感じさせたり、気づかせたりを自然にしてしまう能力を備えているのではないかと思う。
今みたいな、コロナとか地震とかの災害時は、とりたてて、救済が使われたり、響いたりするのか、私自身が救済を渇望しているのかは分からないけど。私は、「かいていきたい」とちょっと前から考えている。そのことを何人かに伝えると、エールが届いた。その1人は、「Tさんの『かいていきたい』僕は大賛成です。」とメールで伝えてくれた。その「かいていきたい」というひらがなをみて、見えた。「かいて(書いて・描いて)いきたい(行きたい・生きたい)」という自分の心が。
「救済」と「職業・生きる糧・仕事」を考察した翌日、ふと、お墓参りに行きたくなった。そこのお寺の掲示板にあった言葉に胸が熱くなった。「菩薩は慈悲を体としたもう(性霊集巻第四) 人の苦しみを我が苦しみとし、人の悲しみを我が悲しみとする。ただ人に喜んでもらうことを我が喜びとする。それが私たちの理想の人間像、即ち『菩薩』です」
たまたま小学生の頃に目にした宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に強く惹かれた。この賢治の手帳に記された言葉の前後に菩薩の名前が曼荼羅のように描かれていたことを後で知った。また、中学時代の修学旅行で目にした広隆寺の弥勒菩薩にひと目惚れした。どちらも亡き父から教わった存在だった。だから父が眠るこの場所に呼ばれたのだろうか。
「救済」と「菩薩」がリンクし、「かいていきたい」覚悟ができたような気がした。
書くことが仕事に
このエッセイを書いた翌年2022年12月に恩師の言葉をきっかけに会社を設立した。そして、2023年3月から地域で記者としての仕事もするようになり、今は会社で書く仕事も請け負うことになっている。「かいていきたい」という時に抱いた思い、願いなどが少しずつ叶っている。思いを言語化することで生まれる力を感じる。人生何がどうなるかは分からない。1つ確かなことはいつも私を応援してくれる誰かがいたから書いてこられたこと。だからこそ、かいていくことで私も誰かを応援できたらうれしい。