「文学的態度」のすすめ


こんにちは、バイオグラファーです。

「ロジカルシンキング」という本をご存じでしょうか。

2001年に東洋経済新報社から出版された本で、これをきっかけに日本でも「ロジカルシンキング」が注目され、

爾来、ビジネスの場で使うような「ロジカル」な考え方がビジネスの場以外でも重宝されるようになってきました。

著名人の言動一つとっても首尾一貫性が求められ、SNSなんかで少し矛盾したことを言うと、

「この前と言っていることが違う」「手のひら返し」と批判されているのをよく見かけます。



私はとある企業でマーケティングの仕事をしています。

日々、ロジカルに物事を考え、語り、業務を遂行することを求められます。

でも時々思うのです。

ビジネスの場ではそれは大切だけど、日常生活までロジカルでは疲れてしまう。


その反動なのかもしれません。

ときどき、そうですね、半年に1回くらいは、ただひたすら自分の好きなことを言って、書いて、自分のことだけを考えて、暮らしたくなることがあります。

そういうときは仕事にどうにか都合をつけて2日くらい休みを取り、

土日とくっつけて4日間丸々、自分の好きなことだけをします。


私には少し恥ずかしい趣味があります。

休みの日に、自分で選んで買った少し派手なシャツとネクタイ、ベストを着て、

会社にもいかないのに自分の持っている中で一番高いスーツを着て、

わざわざ自分の住んでいる町から15分も電車に乗って、日の当たるテラスのあるカフェに行って、コーヒーを飲むのが好きなのです。

しかも特別好きというわけでもないエスプレッソをダブルで頼んで、別に家でも読めるはずの高尚な本を読むわけです。

新書ではありません。名著を読むわけです。

ジャンルは問いません、その時の自分の気分に合っていればよいのです。

「葉隠」「罪と罰」「マーケティング4.0」「こころ」「ブルー・オーシャン戦略」「楢山節考」「行為と演技」「塩狩峠」「プロ倫」

はっきり言って内容も関係ありません。

読んではいますが、その本はあくまでそのカフェに長居するためのある種の口実で、

時折、本を閉じて目を瞑って、日の光が差してくる方を向いたまま何も考えないでいるのがいいのです。


それから、これは季節限定ですが、

冬、ジャケパンにロングコート、マフラーとハットをかぶって箱根の蕎麦屋にひとりで行って、

天ぷらそばと漬物と日本酒を頼むわけです。

天ぷらをと漬物をつまみに酒を飲み、静かにそばを食べて、

おもむろに「おあいそ」とつぶやいて、お金を払って帰るのです。

私がその店で発する言葉は、「天ぷらそば」「漬物と、あと日本酒」の二言と、最後の「おあいそ」だけなのです。



さあどうでしょう。

自分で書いててもちょっとイヤになってきているわけですから、

こんなものを読まされるあなたに同情します。よく読んでくださいました。

普通に考えてこんな気取ったことする意味なんてないわけです。

ですが、「意味がないからやらない」というのは、「ロジカルシンキング」に毒された発想だと、私は思います。


「目的は何か?」というのは最も初歩的なロジカルシンキングであろうかと思います。

ビジネス上はそれは大切なことですが、それを自分のすべてに適用する必要はないと思います。

休みの日に意味もなくでかけ、意味もなく気取る、なんと呼んでよいかわからないこの趣味も、私がなんとなくそうしたいわけですから、それでいいと思っています。


ひとつ前の投稿でも書きましたが、私は個人の伝記を書いています。

一人の人に何日もかけて、その半生を語ってもらうと、

「どうしてあのときそう思ったのだろう」

「どうしてあんなことしたのだろう」

ということが必ずあります。

皆さん普段から真面目に仕事をしすぎて、「なんとなく」「ただ単に好きだから」「ただ単にそうしたかったから」と思えなくなってきているのではないかと感じます。


でも、「なんとなく」何かすることって、自分の感性と直結していると思いませんか?

社会から規定された立ち位置、態度ではなく。

社会が作って定式化された趣味や考えではない。

自分自身の内発的な感覚に即して、なんとなく生きる。

私はこれを個人的に「文学的態度」と呼んでいます。


哲学や文学の専門家ではないので専門的な用語は知りませんから、

本当はこれにも何かの用語があるのかもしれませんが、個人的にそう呼んでいます。


私たちの生きる社会はまだ未成熟なので、なんでも好きにやっていきていくことはできません。

仕事はロジカルモード全開でないと乗り切っていけませんし、

仕事上の雑談で趣味を聞かれれば、話が盛り上がるように「野球」「サッカー」「ゴルフ」と言わなければならないこともあります。

でも1年に1回や2回は、文学的態度モード全開で過ごす週末があってもよいのではないかと思うのです。


伝記を書く上でも、私はご本人の「なんとなく」を大切にしています。

どうしてそんな決断をしたのかわからない過去の自分を、

伝記にして客観的に見てみると、自分の感性が逆に見えてきたり。

プロではない私の伝記が役に立てるところがあるとすれば、

そこなのかな、と日々思っています。




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