#24 人って死ぬんだね
人間はいつか死ぬ。
寿命があって運命があって、生まれたからにはいつか死ぬ。
そんな当たり前のことを、分かったつもりでいたんだと思う。
曾祖父が倒れて、意識が戻らないから祈ってほしいと電話がかかってきたのは日曜日の夜だった。立ち尽くしてしまって、自分に出来るぜんぶで祈ってみたけど届かなかった。人生で初めて身近な人が亡くなった。信じられなかった。信じられないから、数分前の私の祈りもどこか偽物だった。
だってね、たった7日前に会ったんだよ。
いつもと変わらずに沢山お話したんだよ。
誰よりも元気で全くボケてない曽祖父は元々すごい和菓子職人で、今度お盆に帰ってきた時には一緒に和菓子つくろうねって約束したばかりだったんだよ。
約束したじゃん。
一緒にいた彼が何も言わずに優しく抱きしめてくれた。「約束したのに、亡くなっちゃったんだ」声に出した瞬間全部が溢れて、信じられないものが信じたくないものに変わって、人の死を目の当たりにした。ずっと泣いたけど次の日はいつも通り仕事が出来るくらいには大人になってる自分もいた。
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私の曾祖父は和菓子職人で島根県の銘菓「どじょう掬いまんじゅう」の開発者である。東京でいう東京ばな奈、神奈川で言う鳩サブレーポジションと言えばなんとなく凄いことがわかる。
私が小さい頃は毎年誕生日ケーキを作ってくれたし、週末になるといつも色とりどりの自作おまんじゅうを家に届けてくれた。私が祖父母宅に預けられた時はどら焼きを焼いてくれて一緒に食べた。曾祖父が立ててくれるお抹茶と一緒に和菓子を食べる時間が大好きだった。
そんな曾祖父の若き日の傑作「どじょう掬いまんじゅう」について私は、その開発工程から競合と差をつけ現在の地位を確立するまでを分析し、大学時代に論文を書いた。
帰省する度に泣いて喜んでくれる曾祖父の存在がとてつもなく大きな存在だったことは、亡くなってから気づいた。
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泣くと言う漢字はさんずいが付いている通り、水、涙を表しているんです。そしてその隣には「立つ」という漢字が付いている。それは、寂しさに暮れて涙を流すことはあっても泣き崩れてしまうことはないということ、沢山涙を流して寂しい時間を過ごしたあとは立ち上がって進んでいくということを表しているのです。沢山涙を流したあとは、しっかり立ち上がって与えられた残りの人生を進んでいく、その姿を見せることが故人への1番の恩返しになるのです。
お葬式をしていると、故人さまは今どこにいるんでしょうか?と聞かれることがよくあります。人は亡くなると西の先の極楽浄土へと向かいます。菩薩さまが、蓮のつぼみの中に故人さまを入れて極楽浄土の入口にある蓮の池に浮かべられるのです。49日が経つころに花は開き、その先で故人さまは亡くなった奥様と再会されるのです。
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住職さんのお話。そうか、ひいじいちゃんは今、蓮のつぼみの中でゆっくりしてるのか、よかった。ほんでもう少ししたら大好きだったひいおばあちゃんに30年振りに再会できるんだ、よかった。
これから先も幸せに過ごせることが確定してると思わせてくれるお話だった。
棺にお花を入れる時、曾祖父が大好きだったさきいかを入れた。これで蓮の花が開くまでの間、さきいか食べて過ごせるね。そんな会話をして笑った。
私自身、「自分の宗教はどれかと言えば仏教」という感じで、生まれてこのかた無宗教に近い人生を送っていたから、お葬式中の長い長いお経もどこか他人事でよく分からないおまじないにしか聞こえなかった。それでも住職さんのお話を聞いて曾祖父に対する寂しさが安堵に変わって心が救われた。宗教の「救われる」という概念をはじめて感じることができたような気がする。
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東京に帰る。
会社にお土産でどじょう掬いまんじゅうを買った。駅、コンビニ、スーパー、どこに行っても売ってるどじょう掬いまんじゅう。曽祖父が生きていた証はこれからもずっとここにある。
曾祖父秘伝の和菓子レシピのノートをもらった。
一緒に和菓子をつくる約束は叶わなかったけど、今度のお盆には作って島根に帰るから、一緒にお茶会しようね。
ありがとう。ずっとずっとだいすきです。